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 ※こちらはBL台本となっております。性的描写はございませんが、苦手な方はご注意ください。

 

 

【登場人物】


 ♂:♀→5:0

 

 【男性】


  狭間 晴(ハザマ ハル)   :白兎東(シラトヒガシ)高校2‐A在籍。
                内気な文学少年。中肉中背、眼鏡。病気のため母と死別し、白兎町に住む母方の
              叔母である遼子に引き取られることに。感受性が豊かな普通の子。小説の世界に
              没入することで現実逃避していた。
              能力は、コントロール自在の黒い糸を出すこと。


  八雲 紅緒(ヤグモ ベニオ) :白兎東高校2‐A在籍。
                明朗快活なバンドマン。ボーカル担当。猫のようにしなやかな身体つき。独りを
                                  望む狭間に興味を抱く。
              能力は、周囲の人間の五感を騙して化(バ)けること。


  一条 綾人(イチジョウ アヤト):白兎東高校2‐A在籍。
                無口、無表情。色白、華奢な超絶美人。クラスの誰から話しかけられても、無視
              するか淡白な返事しかしなかったが、助けてもらった狭間と八雲とは交流するように。
              雪代には心を開いている。
              能力は、怪我の治療や、植物の成長の促進……?


  雪代 京(ユキシロ キョウ)  :白兎東高校2‐C在籍。
              成績優秀、品行方正、スポーツも人並み以上にできる優等生。温厚篤実な性格から、
              何かと頼りにされることが多い。


  雨澤 棗(アマサワ ナツメ)  :白兎東高校2‐C在籍。
              大柄で無愛想、周囲から恐れられている少年。苛立つと筆記用具を折ることで有名。
              花屋の息子。

 

 ※以下、【】内は、間と状況説明。()内はルビ。
  Mはモノローグ。


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 【ゴールデンウィーク後半の昼下がり。
  カラオケボックスの一室。狭間、八雲、一条の3人。】

 

 

狭間:あ、あのさ八雲! これ……よかったら、受け取ってっ!!


八雲:あー、わかった。ラブレターっすね? 刺すような勢いで胸元に突き出されるもんって言ったら、それっきゃない!


狭間:見た目で明らかに違うってわかるよね!? 温泉行ってきたから、そのお土産(おみやげ)、なんだけど


八雲:おみやげ? まじ? 温泉って、叔母さんと2人で?


狭間:うん、遼子さ……叔母さんと2人で、一泊二日で


八雲:ほうほう、男子高校生がOLさんと2人旅かー。温泉かー、湯煙(ゆけむり)かー、そっかそっかー


狭間:……は、はい! 一条くんも、よかったら、どうぞ


一条:ありがとう、はざま。開けてもいい?


狭間:う、うん。あんまり大したものじゃ、ないんだけど


八雲:大したものじゃないって台詞さ、ほんとに大したものじゃなかったら言えないっすよね。何かな何かなー、
   楽しみだな楽しみだなー


狭間:ちょっ、八雲! そこまで期待されると……いや美味しいけど、少なくとも僕は貰ったら嬉しいけど!


八雲:あ、温泉饅頭(まんじゅう)だ。うんうん、この馴染み深い色艶。いいね、まさしくお土産の定番だよね


狭間:ほら、そういう反応になる……


八雲:いやいや、ほんとに嬉しいよ? 俺、和菓子結構好きだし。ありがとーはざまん!


一条:ありがとう。帰ったら、食べる


狭間:どう、いたし、まして……


八雲:はー。俺は俺なりに、楽しく黄金週間を浪費してるつもりでいたけど。いいなー、旅行したいなー、
   ユッキーも家族旅行してるしー。どこって言ってたっけ、奈良? 大阪?


一条:きょうと


八雲:そこそこ。おいちちゃん、ユッキーいなくて寂しい?


一条:……うん。寂しい、と思う


八雲:あは、素直だ可愛いー。てか俺、おいちちゃんが来てくれるなんて思わなかったよ。はざまんもだけど!


狭間:それは、せっかく誘ってくれたし、特に用事もなかったし。ただ、突然押し掛けてこられて驚いたから、
   次からは事前に連絡して欲しい


一条:インターホン、何回も鳴らすのも、やめて。迷惑


八雲:よーしっ、とりま1曲目いこー! こういうときは時計回りー、てなわけで、はざまんリモコンどーぞ


狭間:……りも、こん?


八雲:あれ? はざまんって略語嫌いなひとだったっけ? じゃあ、リモートコントローラー


狭間:そうじゃなくて、その……ごめん。実は僕、初めてなんだよね、カラオケボックス


八雲:は? 初めて? うそ、このご時世で? 今日が初めて? ほんとに?


狭間:だから、歌える曲、合唱曲くらいしかないんだけど


八雲:合唱曲? いやいやいや、流石にそれだけじゃないっしょ! 好きな曲とかないの? 好きなアーティストは?
   つーか、特別これが好きってのがなくてもさ、テレビ見てたらドラマの主題歌とか、CMで流れてる曲とかある
   じゃん? 耳に残ってる曲とかさー、サビだけなら歌えるって曲とかさー……え、何その反応。待って、まじで
   ゼロなの!?


狭間:ちょ、ちょっと待って、捻(ひね)り出すから。その、いま、ちょっと、緊張してて


八雲:緊張!? え、全然わかんないんすけど、なんの!?


一条:やぐも。俺、ぜったい、歌わないから


八雲:……うーん、なんかチョイスを間違った感。そっかー、何して遊ぶかみんなで決めれば良かったのかー。
   でもさー、カラオケってド定番だからさー……いや、すんません、俺が勝手にそう思ってただけっす、
   温泉旅行のお土産と言えば温泉饅頭ってのと同じくらい定番だと思ってたんす……うひー、これが
   所謂(いわゆる)カルチャーショック!


狭間:や、八雲が歌えばいいんじゃないかな!? 部活でボーカル、やってるんだよね?


八雲:やってる。やってるけど、まじで俺1人だけ歌えって言ってる? いや、別にいいけど、俺が歌ったらみんな
   メロメロになっちゃうけど、それでもおっけー?


狭間:大丈夫。すごいとは思うかも知れないけど、メロメロにはならない


一条:ならない


八雲:断言!? ちょっとー、なんかすっごい悔しいんすけどー!


一条:あ。ゆきから、返事、きてる


狭間:なんて?


一条:そうかー、びっくりびっくり、楽しむんだぞー、びっくりびっくり、車に気を付けるんだぞー、びっくり、
   ちゃんと2人と一緒に行動するんだぞー、びっくり……だって


狭間:びっくりびっくり? あ、感嘆符か。あはは、何と言うか、雪代くんらしいね


一条:ゆき、喜んでるみたい。俺が、はざまたちと出かけてること


狭間:……そうだね


八雲:もー! 勝負曲入れちゃうかんね、俺! こうなったら絶対メロメロにしてやるー!

 


 【間。】

 


狭間M:街のあちこちで、鯉のぼりが晩春の風に靡(なび)く、ゴールデンウィーク。
     僕は遼子さんと一緒に電車に乗って、両親に会いに行った。
     母さんが好きだったガーベラに、白いカーネーションを添えた花束を抱(かか)えて。


     白兎(しらと)に吹くものよりも、少しだけ温(ぬる)い風に揺れる、色とりどりの花びらを見つめながら……
            遼子さんの計らいで、父さんと、母さんと、僕の3人だけで、いろいろな話をした。


     僕が惹かれた、物語の世界の話。遼子さんと過ごす日々の話。それから……
     きっと、驚いただろうな。自分でも、信じられなかったくらいだ。僕が、友人の話をするなんて。


     そう。歪んだ長方形のなかに引きこもってきた僕は、3人の人物との、確かな繋がりを得ていた。
         一緒に過ごした時間は、まだ短い。それでもこの先、ずっとずっと、彼らと繋がっていられることを願っていた

 


 【間。】

 


狭間M:5月。空夜(くうや)に硝子細工を浮かべる

 


 【間。
  4月。午後8時。
  閑静な住宅街に建つ、無骨なアパートの2階。
  一条家から出てきた雪代と対面した、狭間と八雲。微睡から覚めた一条が、八雲に背負われている。】

 


【同時に】
八雲:ユッキー
一条:ゆき


狭間M:話は、4月に遡(さかのぼ)る。
    「棘(いばら)の塔」での冒険を終えた、あの夜のこと


雪代:一条! よかった! 八雲と、……転校生の方と一緒だったんだな?


狭間M:無人だったはずの一条家から出てきたのは、春の暖かさと、冬の美しさを共存させたようなひとだった


雪代:はじめまして、2年C組の雪代です。2人とは、1年のときにクラスが一緒で


狭間:こ、こちらこそ、はじめまして、僕は2年A組で、名前は狭間で、2人とはいまクラスが一緒で


八雲:もー、はざまん人見知り発動し過ぎ。ユッキーも、同い年なんだから敬語で話さなくてもいいのにー


雪代:ああ、それもそうか、つい。ハザマさん、構いませんか?


狭間:も、もちろんです、じゃなくて、もちろん!


雪代:ありがとう。よろしく


狭間:よろしく、お願い、しま、する


八雲:しまする……


雪代:ごめんな。誰もいないはずの家から、突然知らない人間が現れて、驚いただろう?


狭間:いやっ、確かに驚いたけど、でも謝らなくても全然、全然全然っ、


一条:ゆき……


八雲:おいちちゃん、お互い名残惜しいけど、俺の背中から降りちゃう? ユッキーの胸に飛び込んじゃう?


一条:名残惜しいわけ、ない


八雲:辛辣!


一条:でも、……ゆき。俺、


雪代:【腕を広げて】おいで!


一条:っ……降りる。ゆき、……ゆきっ【抱きつく】


雪代:よしよし……


八雲:はざまん、刮目(かつもく)せよー


狭間:か、刮目って


八雲:だってこれ貴重な光景だよ。おいちちゃんに有効な「おいで」ができるのはユッキーだけ


雪代:……一条、よかった。無断で休んでいたと聞いて、つい来てしまった


八雲:あー、そういや俺が報告したんだった。中にいたってことは、鍵、開いてたの?


一条:ゆき、合鍵、持ってるから


八雲:なんと


雪代:いや、鍵は開いていた。連絡しても繋がらないと思ったら、携帯電話は枕元に置かれたままで……ますます、何かが
   あったのかと。でも、本当によかった


八雲:何があったのか、訊かんの?


雪代:そうだな。訊かなければ問題があることで、訊いても構わないことなら訊く


一条:……ちがう


雪代:なら訊かない。こうして会えただけで、十分だ


一条:ゆき……ごめんね、ゆき……ありがとう……


雪代:よしよし。謝るのも、お礼も、俺にじゃないだろ?


一条:……うん


雪代:……八雲。ハザマさん。本当にありがとう


狭間:え!? ええと、いや、でも僕達は別に、本当に全く、全然なにもしてなくてっ


雪代:してるぞ、すごく。一条を連れて帰ってきてくれただろ?


八雲:あはは、確かにー


雪代:一条は、少しだけ、頑固なところがあるから……ご苦労をされたんじゃないかと思う。特にハザマさんは、
   顔色が優れないようだ。
   一条、台所を借りても構わないか? それから……2人の時間が許すなら、上がっていって欲しいんだが


一条:大丈夫


八雲:ほ? なんか作ってくれんの!?


雪代:ここから帰るのにも、体力は必要だろう? 疲れているときには甘いものがいいから、ココアでもどうかと
   思って。必要なら軽食も作る。あまり食材を買ってきていないから、本当に簡単なものしかできないが


狭間:買ってきた、って……でも、そんな、


雪代:ハザマさんのご自宅は、ここから近いのか?


八雲:三軒隣だって。あの引いちゃうくらい、あ、そういえばユッキーの家も立派だった。じゃあ、あの
   シンプルにでっかい、ちょっと歴史を感じる家


雪代:そうか。それなら、早く帰って、ご自宅で寛(くつろ)いだ方がいいかも知れないな


八雲:はざまん、どーする? 帰る? 俺、いま睡眠欲より食欲だから、ありがたく寄ってかせてもらうけど


狭間:……おっ、


八雲:お?


狭間:お願いしても、いいかな、雪代くん


雪代:もちろんだ


狭間:……おっ、


八雲:また、お?


狭間:お邪魔しても、いいかな、一条くん


一条:…………いいよ。友達、だから


雪代:ともだち?


狭間:あっ、あああ……、あ、あり、ありが、ありが、とう……!


雪代:そうか……そうか、友達か! そうか、そうか! よしよしよしよし! 一条、よかったなあ、本っ当によかった
   なあ……! ハザマさん、ありがとう!!


八雲:ちょ、なんでユッキーが喜ぶの?


雪代:そ、それもそうだな! ごめん! ……でも、やっぱり嬉しくなってしまうな……! ふふ、友達かあ……!


一条:だから、やぐもはだめ


【同時に】
八雲:俺の扱いー!
雪代:こ、こらっ!


狭間:あ、あははは……、…………

 


 【間。】

 


狭間M:一条の部屋は、白と黒の多い部屋だった。最低限のものしかない部屋だった。
       だけどその中に、確かな生活感を覚える部屋だった。
     当たり前のことだけど。そこには、一条が暮らしているんだという実感があった。
     友人の家にお邪魔するのなんて、何年ぶりだろうという僕は、


一条:ゆき。はざまが、カーペットに躓(つまづ)いた


雪代:ハザマさん、痛くしなかったか? 受け身は、ちゃんと取れたみたいだけど


八雲:待って、俺いま眼鏡に体当たりされたんすけど! すっごいレアな経験じゃない? ねえねえ!


狭間M:当然のごとく、ガチガチに緊張して、


一条:ゆき。はざまが、すごく、うろうろしてる


雪代:ハザマさん、この座布団が、ハザマさんに座って欲しがっている


八雲:はざまんはざまん、俺の膝もはざまんに座って欲しがってる! ねえねえ!


狭間M:粗相を繰り返した、と思う。正直なところ、マグカップを受け取るまでの記憶が、あまりない


雪代:はい、ハザマさん。ココア、どうぞ


狭間M:手のひらにじんわりと伝わる温かさにはっとすると、雪代が、目線を合わせて微笑んでくれていて。
      促(うなが)されるままに一口啜(すす)ると、渇き切っていた身体に、その温かさと、甘さが染み渡って……
     そこからは、疲労も緊張も、蕾(つぼみ)が綻(ほころ)ぶみたいに、解(ほぐ)れていった


八雲:飴細工みたいなひとでしょ


狭間:……飴細工?


八雲:飴は飴、鞭も飴。甘くて、優しくて、綺麗な綺麗な飴細工


狭間M:囁くように、歌うように。台所に立つ雪代を見つめながら、黒髪に戻った八雲は言った。
    「いつもの」とか「らしい」とか。そんな言回しを使えるほど、彼のことを知っているわけじゃなかった。
     それでも。口元だけで微笑むその表情を見て、思わずにはいられなかった。
     八雲じゃない、別のひとみたいだと。

     逃げるように、またココアを一口飲んだ。
     水面(みなも)から顔を上げたときには、その違和感は、どこかへ行ってしまっていた


雪代:お待たせ。どうぞ、召し上がれ


八雲:きたー! サンドイッチだー!


狭間:……わあ


八雲:やば、喫茶店で出てきても納得のお洒落感なんすけど。いただきまーす!
   【食べながら】うまー、ユッキーってば、相変わらずの料理の腕っすなー!


雪代:一条には、丸々一個は大きいだろうから。こっちの、一条サイズのを食べような


八雲:【食べながら】一条サイズ! ちっちゃい! かわいい!


一条:やぐも。さっきから、もごもご、何言ってるの?


八雲:台詞はそうでもないけど視線が極寒! てかはざまん、どしたの? 一口齧(かじ)ったきり、石になってるけど


雪代:口に合わなかったかな。よかったら、他のでも、


狭間:ううん、そうじゃないんだ。美味しい。すごく、美味しい。こんなタマゴサンド、初めて食べた。
   ただ、その……勿体ないと、思っちゃって


八雲:【食べながら】わかるかも、その気持ち。でも、食べない方が勿体なくない?


狭間:……そう、だよね

 


 【間。】

 


八雲:さってとー。あんまり遅くまでいると、帰るの余計怠(だる)くなっちゃうし。俺、そろそろ帰るね


雪代:そうか。……送ろうか?


八雲:あは、俺の心配までしてくれてんの? いいっていいって、ユッキーは思う存分おいちちゃんを可愛がって
   あげて!


雪代:……わかった。気をつけてな


八雲:ありがと


雪代:じゃあ、また


八雲:うん、まったねー。はざまんとおいちちゃんは、元気ならクラスで会いましょー!


狭間M:なんだかぼんやりとしていたせいで、立ち上がるタイミングを逃してしまった僕は。
          横になるという一条と、甲斐甲斐しくそのお世話をする雪代のやりとりを、ぼんやりとしたまま
      眺めていた。なんて綺麗な光景だろうと、これまた、ぼんやりと思いながら


雪代:明日、登校前に様子を見にくるな。行けるなら、一緒に行こう。行けなさそうなら、ちゃんと学校に連絡だな


一条:うん、待ってる


雪代:おやすみ


一条:……ゆき。うちは、平気?


雪代:大丈夫だ。今日は父さんの帰りが早かったから


一条:じゃあ、寝るまで、そばにいて


雪代:もちろんだ


狭間M:雪代は、ずっと、一条の肩をさすってあげていた。
          一条が静かな寝息をたて始めるまで。心地いいリズムで、ずっと、ずっと。


    やがて僕は、雪代と一緒に、一条の部屋を後にした。
         見上げると、よく晴れた夜だった。白く、鋭く光る星月が、やけに目を惹く夜だった。


    鍵をかける音に振り返ると、雪代と目が合った。
    にこ、と花咲くような微笑。
    灯りを消したときの横顔も。そっとドアを閉めたときの指先も。彼の仕草の一つ一つが、なんだか……


雪代:付き合わせてしまったようで、ごめんな。ハザマさんこそ、早く帰すべきだったのに


狭間:ううん、大丈夫。あの、本当にご馳走さま。本当に、すごく美味しかった


雪代:ふふ、よかった。お粗末様でした


狭間:……雪代くんって、なんだか、お母さん、みたいだね


雪代:そうだろうか


狭間:あ。ごめん、男なのに、お母さんなんて言って


雪代:いいや、構わないぞ。ハザマさんは何というか、真面目なんだな


狭間:……そうかも


雪代:ハザマさんのご自宅は、ここだな。今日は、本当にありがとう。よければまた、学校で


狭間:雪代くん


雪代:ん?


狭間:……あの、


雪代:……うん


狭間:僕、全然、大した人間じゃないんだ


雪代:…………


狭間:一条くんに友達だって言ってもらえて、すごく嬉しい。だけど……僕、考えてみたら、そんな、価値のある人間
   じゃなかったな、って。……なんだか、恥ずかしくなっちゃって。
   八雲みたいに明るくもないし、一条みたいに綺麗じゃないし……僕、クラスでも、いつも小説ばかり読んでいる
   ような……本当に、暗い、大したことない、人間で


雪代:……そうか


狭間:いろんなことが、ものすごい勢いで、流れていってるんだ。
   だけど、どんなに流されても……僕は、やっぱり、ただの、臆病者のままなんだよ


雪代:…………


狭間:ありがとうって、言われるような、人間じゃなかった。一条や八雲と、友達になれるような人間じゃなかった。
   僕は、逃げてばかりの臆病者で、だから……だから、言っておかなくちゃと、思って。だって、雪代くん
       みたいなひとには、僕は……!
       ……ああ、ごめん、何、言ってるんだろ……ごめん、会ったばかりなのに、わざわざ引き留めて、こんな、
       情けないだけのこと……本当に、僕、僕は、


雪代:ハザマさん。ごめん


狭間:っ、……ゆ、雪代、くん?


雪代:失礼なことをしている自覚はある。だから、やめて欲しいと思ったら、その通りに言ってくれ


狭間:……っ、はは……頭を、撫でられたのなんて……久しぶり、だな……
      なんだか、ああ、ごめん……ごめん……、う、うぅ、う……


雪代:よしよし。ありがとう、伝えてくれて


狭間:う、……うっ、うっ……


雪代:ハザマさん、いま、バラバラなんだな


狭間:うぅ、うう……うっ……


雪代:変化を受け入れたいハザマさんと、それをどうしようもなく恐れているハザマさんがいる。あまりにも
   急激な変化だから……翻弄されて、戸惑って、混乱しても、仕方がないな


狭間:っ、うぅ……うぁ、あぁ……


雪代:よしよし……ハザマさんは我慢のし過ぎだな。苦しいときは、苦しいって、思いっきり叫んでもいいんだぞ?


狭間:っく……う、……雪代、くん……でも、でも、僕、僕なんかは……


雪代:……あのな。深い傷はなかなか癒えないし、どうしても痕(あと)を残すものだから……ゆっくり、自分の
   力で、納得のいく付き合い方を探していくのが一番だと思う。だからあまり、こういうことは言いたくないんだが。
   ……その謙遜は、失うことを恐れているせいでも、あるんだよな?


狭間:……え……


雪代:そうだな。失えば、痛みが残る、悲しみが残る、次の別れへの恐怖が残る……だが、それだけじゃない
   場合だって、あるかも知れないよな


狭間:……っ、う……そう、だよね、本当に、そうだよね……
   ……でも、謙遜じゃ、ないよ……謙遜、なんかじゃ、ない……


雪代:少なくとも俺にとっては、ハザマさんは、一条を連れて帰って来てくれた、大したひとだぞ?


狭間:……う、う、ぅう、う……あ、あぁ、あああああぁああああ……!


雪代:よしよし。勝手なことばかり言って、ごめんな。
   ……よしよし。心の洗濯だな。よしよし……

 


 【間。
  馳川家、玄関。
  泣き止んだ狭間と向き合う雪代。】

 


狭間:ご、ごめんね。ハンカチ、貸してもらって……服も、ちょっとどころじゃなく、濡らしちゃったし……


雪代:本当に真面目なんだな。そんなことくらいで、謝る必要なんてないのに


狭間:じゃあせめて、土下座、してもいいかな


雪代:どうしてそうなる!?


狭間:あ、あはは……あのさ。雪代くんって、ひとの心が読めるの?


雪代:……まさか。驚いたな、そんなことを面と向かって訊かれたのは初めてだ


狭間:ごめん、そうだよね、普通驚くよね。で、でもさ……どうして、わかるの? その、いろいろと


雪代:無責任だと思うかも知れないが。そんな気がするだけなんだ


狭間:ええと、それじゃあ、


雪代:ただの勘なのか


狭間:え


雪代:どうだ? 当たっていたか?


狭間:……うん、正解だよ、雪代くん。じゃあさ。いま、僕が何を考えてるか、当てられる?


雪代:ん? そうだな…………
   なんだろう。流石にわからないな。答えを訊いてもいいだろうか?


狭間:……ハンカチ、洗って返していい?


雪代:いいやそんな、悪いから俺が……でも、本当にそれが正解なのか?


狭間:あ、あはは、雪代くんには敵わないな。本当は、ね。
   …………雪代くんも、僕と、友達になってくれる?


雪代:俺でよければ、もちろんだ

 


 【間。】

 


狭間M:その日の夜。ながいながい一日だったと、ベッドの上で考えていた。
     身体はひどく疲れていたのに、妙に目が冴えてしまって、なかなか寝付けなくて。


         ファストフード店の自動ドアから、こことは違う、不思議な世界に落ちて。
    不思議な能力に目覚めて、不気味で美しい鎧が守る、棘の蔓延(はびこ)る巨大な塔から、
         同じ能力者の八雲と一緒に、同じ能力者の一条を助け出した。


    八雲と、一条と、友達になった。雪代の前で、醜(みにく)く泣いて……彼とも、友達になった。
    すべてが、その日に起こったことだった。僕を取り巻く状況は、その日、大きく変わってしまった。


    カーテンを貫く月明かりに、手を翳(かざ)してみた。何も変わりはしない、僕の身体。
    心とは裏腹に、遠くへ運ばれてきた僕の身体。
    だけど……今度は、留まることを望んでいた僕の心が、身体を残して飛んでいこうとしていた。


    僕を明るく引っ張ってくれる八雲。僕を強く惹き付ける一条。僕を優しく抱きとめてくれる雪代。
    そして他ならぬ僕自身が、僕を連れていく。どこかわからないけれど、遠くへ。途方もなく、遠くへ

 


 【間。
  5月。ゴールデンウィーク明けの月曜日、昼休み。
  白兎東高校2-A教室。
  席替え後、席が離れた狭間と八雲。
  しかし八雲は、狭間の前の席に勝手に座って、狭間と昼食を食べている。】

 


八雲:はー、さよなら黄金週間。次の連休っていつっすかね、午後からの授業のモチベーション保つために探そー


狭間:流石に、もっと他のことをモチベーションにした方がいいと思うんだけど


八雲:他のこと? 部活……いやもっと他のこと……部活……
   あー駄目、例のモヒカンくんのこと思い出して変な顔になっちゃうから駄目ー!


狭間:別に、変な顔しても気にしないけど。
   ……部活、か。八雲の歌、すごかったな。ボーカルやってるくらいだから、すごく上手いんだろうな、とは
   思ってたけど……何と言うか、上手いって表現を使うのが失礼だと思った。どれも、八雲の歌なのかと、
   思っちゃったくらいだったよ


八雲:うひー、真顔でそんな褒められると照れちゃうんすけど! 余計デレちゃうんすけど! もー、やっぱ
   メロメロになってんじゃん! ねえ、ライブ来る? ライブ来る?


狭間:なってないし、いきなりライブはハードルが高いよ


八雲:いきなりもなにも、間(あいだ)に挟むものある? あ、学祭? 遠っ!


狭間:……学校祭


八雲:うちは10月だよ。2年は修学旅行の一か月後だから、結構スケジュールタイトっすよー。
   内容はね、1日目がクラスごとのステージ発表で、2日目が教室飾って、お化け屋敷とか喫茶とかやるやつ。
   あと、歌部(うたぶ)とか楽部(がくぶ)とか軽音とか理科研とか、文化部が諸々(もろもろ)発表する。
   んで、常日頃からスターな八雲 紅緒(べにお)くんが、スーパースターになる


狭間:そ、そうなんだ


八雲:そ。つまるところ普通だよ、よくある感じで普通に楽しい


狭間:へえ……あれ? ねえ八雲、廊下から、こっちを見てる人達がいるんだけど


八雲:ん? 軽音の連中じゃん……げ、やば、思い出した、今日の昼打ち合わせの約束してたんだっけ。俺ちょっと
   行くわ、はざまん、またあとで!


狭間:えっ、ちょっ、メロンパン1個置いていってるよ!?


八雲:あげるー!


狭間:【独り言】苺チョコチップメロンパンって、もう何がなんだか……八雲の机の上に置いておこう。
   …………、ふう。どうしよう。本、読もうかな。……あれ? い、一条くん!?


一条:ここ、座っても、いい?


狭間:ええっ!? い、いや、そこ僕の椅子じゃないから……いや、八雲も勝手に座ってた、けどっ……


一条:だめかな


狭間:駄目じゃない、と思う! 全然、駄目じゃないと思うけどっ!?


一条:じゃあ、座る


狭間M:心臓が口から飛び出すかと思った。まさか一条が、僕の席まで来るなんて。


    僕は「棘の塔」の一件から、一条と、人並み以上に接するようになっていた。
    玄関で偶然会ったときには一緒に帰るし、クラスでも、おはようとか、またねとか、挨拶程度ではある
    けれど、言葉を交わすようになっていた。ゴールデンウィークには、カラオケにも行って……私服姿を
    拝んだりも、してしまった。


    だけど一条は、昼休みになると相変わらず、ぼんやりと窓の外を眺めて座っているだけだった。
    4月の終わりに席替えをして、窓から少し離れても、その様子に変わりはなかった。八雲が昼食に誘っても、
    素気無(すげな)く断っていたから、僕からも、昼休みには話しかけないようにしていたんだ。


    なのに、どうして?
        というか、教室中から注がれる視線が痛かった。嬉しい一方で、正直、逃げ出したかった……


狭間:…………あ、あの。僕の顔に、なにか、ついてる?


一条:目とか、鼻とか、ついてるよ


狭間:え、ええと……お昼、食べた?


一条:食べてない。お腹、すかないから


狭間:そ、そっか。一条くん、細いもんね、食も、細そう……


一条:はざまも、前は、食べてなかったよね


狭間:……知ってたの?


一条:知ってた


狭間:……あの時は、お腹すいてなかったから


一条:いまは、すくんだ。やぐもと話すと、体力、つかうから?


狭間:あ、あはは。いや、そんなんじゃ、ないんだけど


一条:…………


狭間:あの、さ。一条くんは、八雲のこと、どう思ってるの?


一条:やぐも?


狭間:きらいだって言ったり、友達じゃないって言ったりするけど……でも、その割にはよく話してるよね?


一条:ごめん。よくわからない


狭間:……そ、そっか


一条:でも、もしかすると。やぐものことは、すこし、こわいのかも


狭間:……え? こわい?


一条:うん。
   ……だけど、はざまのことは、こわくない。はざまは、いいひとだから


狭間:ぶわっ!?


一条:ぶわ?


狭間:ご、ごめん、ちょっと、トイレ、トイレにっ……あ!


雪代:【廊下から】狭間さん! 一条!


一条:ゆき

雪代:八雲……は、いないみたいだな。2人とも、いま廊下に出てこられるか?


狭間:もちろんだよ! よかった、雪代くん、丁度いいところに……


一条:でも、ゆき、はざまはトイレだって


狭間:いや、全然大丈夫、なんか、おさまったみたいだしっ!


雪代:……はは。そうか


狭間:うんっ! 待ってて、いま、そっちに、……っ【周囲の視線を感じて怯む】


一条:はざま? どうしたの、やっぱり、トイレ?


狭間:…………ううん。なんでも、ないよ


狭間M:一条には、とても言えなかったけど。
     教室中から注がれる視線が、やっぱりちょっと、痛かった

 


 【間。
  白兎東高校2-A教室前、廊下。
      教室から出てきた狭間と一条。廊下で待っていた雪代。】

 


雪代:しかし、一条が自分の席から離れて、狭間さんと話をしに行くなんてな……! 一条、前進してるなあ、
   いい子だなあ!
   ……あ、ああ、悪い、俺が喜ぶことじゃなかったな! だが、つい嬉しくなってしまって!


狭間:雪代くんって、ほんとに、その……一条くんのこと、大事にしてるよね


一条:だいじ?


雪代:ああ、もちろん大事だぞ!


一条:ゆき、だいすき【雪代に抱きつく】


雪代:お、おお、よしよし……!


狭間:あ、あはは……


雪代:困惑させてごめんな、狭間さん。ほら一条、廊下であんまりくっついていると、みんなびっくりするぞ?


一条:……わかった。【離れる】 ゆき、それ、はざまに?


雪代:ああ、その通りだ。
   狭間さん、これ、よかったら。ゴールデンウィークに、家族で京都へ行ってきたから、そのお土産なんだが


狭間:え、ええっ!? ええと、


一条:はざま。あたふたしてたら、ゆき、困るよ


狭間:そ、それもそうだよね! ありがとう、雪代くん!


雪代:受け取ってもらえてよかった。よければ、八雲にも渡しておいてもらえないか?


狭間:う、うん、任せて。うわあ、なんか、すごく綺麗な包みだね……!?


雪代:ふふ、下手なりに選んできた。お気に召すといいんだが


狭間:……あの。本当に大したものじゃないんだけど、僕も、これ


雪代:え?


狭間:僕も旅行に……近場の温泉に、行ってきて


雪代:……そう、なのか。俺が貰っても、構わないのか?


狭間:その為に買ってきたんだよ。よかったら、だけど


一条:ゆき。はざま、困ってるよ


雪代:そ、それもそうだな、ごめん! ……ありがとう、狭間さん


狭間:えっ……あの、中身、温泉饅頭だからね!? こう、馴染み深い色艶の、温泉旅行のお土産のド定番
   だからねっ!?


一条:どうして、慌ててるの? おいしかったと思うよ、おまんじゅう


狭間:い、いや、だって……


雨澤:【舌打ち】


狭間:ひっ!?


雪代:雨澤。擦れ違いざまに舌打ちするのは、流石に印象が悪いな


雨澤:……んだよ、そいつが耳障りな大声出すからだろ


雪代:っ! こら、無関係な人間を巻き込むのは感心しないぞ! 次からは、やり方を変えてくれ


雨澤:うるせえな。教師にでもなったつもりかよ


雪代:これは指導じゃなく、意図して狭間さんを怖がらせたことに対する抗議なんだが


雨澤:いちいちうぜえんだよ。屁理屈捏(こ)ね繰り回しやがって、偉そうに


雪代:そう感じたなら申し訳なかったが、狭間さんに対するいまのお前の態度も、十分ご立派に思えるぞ


雨澤:【雪代と一条を睨みつけ、再び舌打ちして去っていく】


狭間:……いまの、背の高いひとって?


雪代:同じクラスの雨澤 棗(あまさわ なつめ)だ。ごめんな、巻き込んでしまって。つい、いつもの調子で
   言い合ってしまった。場所を弁(わきま)えるべきだったな


一条:ううん。ゆき、かっこよかったと思う


雪代:あ、あはは……そう、だろうか


狭間:雪代くん、僕の方こそごめん、僕のせいで……でも、いいの? 怖そうなひとだったけど


雪代:いや、狭間さんのことを出したのは、恐らくただの誤魔化しなんだ。狭間さんは、本当に気にしなくて
   大丈夫だぞ?


狭間:え?


雪代:それに……簡単に暴力に訴えるような相手を、真っ向から説得しようとは思わない。
   雨澤は、悪人ではないんだ。ただ、不器用なだけで

 


 【間。】

 


狭間M:雪代は、気にしなくていいと言っていた。だけど僕は、雨澤のことがどうしても気になってしまった。
    「巻き込んだ」という雪代の言葉。そして、去り際に、雪代と……何故か、それこそ関係がない一条のことを、
     やたらと強い目で睨んだこと。
     だから僕は、放課後。雪代からのお土産を渡した際に、八雲に、雨澤について訊いてみた


八雲:ああ、すげーシャーペン折るひと?


狭間:すげー、シャーペン、折るひと? 芯を?


八雲:じゃなくて、本体。ボールペンとか消しゴムもだけど、とにかく筆記用具を折んだって。
   イラついたら素手で、しかも片手でこう、バキイッって。
   しっかしすごいねーはざまんは、有名人とばっか知り合うね? おいちちゃんにー、ユッキーにー、俺でしょー?
   おまけになっつん……ん? どしたのはざまん。なんか顔色悪いけど。もしかして、喧嘩でも売った?


狭間M:雪代は気にしなくていいと言っていた。言っていたけど。
    心配だった。とても、心配だった。


    だから、帰り道。気づけば、もし何かが起こったら、僕が2人を助けなきゃ、なんて考えていた。
    シャープペンシルをへし折るようなひと相手でも、僕なら、何とかできるかも知れないと思ったんだ。
        そうだ。ひととは違う力を持つ、僕なら……

 


 【間。
  雨澤の回想。
  4月。白兎東高校2‐C教室。
  自分の席に座り、膝の上で拳を固めて項垂れている雨澤に、雪代が話しかける。】

 


雪代:これ。よかったら、使わないか


雨澤:……うるせえ


雪代:授業中、音が聞こえたから


雨澤:うるせえ


雪代:また、折れたんだと思って


雨澤:うるせえっていってんだろ! 俺に構うんじゃねえ!


雪代:…………


雨澤:なんで、俺に構う。茶化してんのか? なあ、喧嘩売ってんのかよ? なあ!?


雪代:ごめん。そんなつもりは、なかったんだ


雨澤:……ハッ、なにがごめんだ、偽善者が。ヘラヘラしやがって、イラつくんだよ。周りの人間に媚(こび)売って、
   見下して、そんなに楽しいか


雪代:偽善者


雨澤:んだよ。その通りだろうが


雪代:……どう思われても構わないが。筆記用具、ないと、困るだろう?


雨澤M:ああ。イラついて仕方ねえ。
    何一つ、知らねえくせに。お節介にもほどがある。
    踏み込んでくるな。頼むから。そんな表情(かお)で、俺を見るな

 


 【間。
  放課後。白兎東高校前、商店街。
  喫茶店の大窓を見つめる雪代。
  通り掛かった雨澤、不審に思い、立ち止まって声をかける。】

 


雨澤:ああ? ……おい。……おい、……おい、おい! おいっつってんだろ!


雪代:……雨澤? ああ、ごめん。なるべく端に寄ったつもりだったんだが、邪魔だったか?


雨澤:【舌打ち】邪魔だから何度も呼び掛けたんだろうが


雪代:何度も? それは……気が付かなくて、本当にごめん


雨澤:気が付かねえとか、まじで言ってんのか? その歳でボケてんのかよ


雪代:はは、……なあ、雨澤。思うことがあるときは、なるべく、俺に直接ぶつけてくれないか


雨澤:……昼のことかよ。なら言うが、おまえの存在自体が気に入らねえ


雪代:そう言う割には、こうして話し掛けてくれるんだな?


雨澤:うるせえ、邪魔だったから仕方なくだろうが! 何してんだよ、んなとこにぼさっと突っ立って!


雪代:ああ、内装が気になって


雨澤:内装だと?


雪代:この喫茶店には、入ったことがないから。卒業までに一度、入ってみたいなと思っていたんだ


雨澤:【独り言のように】んだよ、これ


雪代:綺麗だな


雨澤:……ああ?


雪代:いけないな、つい、時間を忘れて見入ってしまった。お客さんがいないからって、これでは迷惑だな


雨澤:待て。おまえ、なにを見た?


雪代:なにを? 喫茶店の内装だと言っただろう?


雨澤:なにが、綺麗だと?


雪代:コーヒーミルが。棚に並べてあるコーヒーカップが。……おかしな表現だっただろうか?


雨澤:…………いや、いい。もう、いい


雪代:そうか、……雨澤、気をつけてな! 寄り道しないで、帰るんだぞ?


雨澤:【舌打ち】いちいちイラつく野郎だな、ガキじゃねえんだぞ!


雪代:子供じゃなくても、思わぬ事態に巻き込まれることはあるだろう?


雨澤:……なら、自分の心配でもしてろってんだよ。誰相手に言ってやがんだ、まじで叩き潰すぞ


雪代:はは、叩き潰されるのは流石に困るな。……それじゃあ、また明日、学校で!


雨澤M:あいつが背を向けた後で、もう一度、あいつが「喫茶店」と呼んだ店の窓を見た。
     喫茶店の内装。コーヒーミル、コーヒーカップ。……そんなもの、何処にもなかった。
     窓の向こうにあったのは、夜だ。夜空に浮かぶ、無数の星だ


雨澤:……喫茶店? プラネタリウムだろ、どう見ても。
   まじで、なんなんだよ、一体

 


-5月 空夜に硝子細工を浮かべる 前篇 end.-

5月 空夜に硝子細工を浮かべる  前篇

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