5月 空夜に硝子細工を浮かべる 後篇
※こちらはBL台本となっております。性的描写はございませんが、苦手な方はご注意ください。
【登場人物】
♂:♀:不問→5:1:1
【男性】
狭間 晴(ハザマ ハル) :白兎東(シラトヒガシ)高校2‐A在籍。
内気な文学少年。中肉中背、眼鏡。病気のため母と死別し、白兎町に住む母方の
叔母である遼子に引き取られることに。感受性が豊かな普通の子。小説の世界に
没入することで現実逃避していた。
能力は、コントロール自在の黒い糸を出すこと。
八雲 紅緒(ヤグモ ベニオ) :白兎東高校2‐A在籍。
明朗快活なバンドマン。ボーカル担当。猫のようにしなやかな身体つき。独りを
望む狭間に興味を抱く。
能力は、周囲の人間の五感を騙して化(バ)けること。
(背中を向け合っていても、相手の顔を変えられる程度には熟練の能力者です。)
一条 綾人(イチジョウ アヤト):白兎東高校2‐A在籍。
無口、無表情。色白、華奢な超絶美人。クラスの誰から話しかけられても、無視
するか淡白な返事しかしなかったが、助けてもらった狭間と八雲とは交流するように。
雪代には心を開いている。
能力は、怪我の治療や、植物の成長の促進……?
雪代 京(ユキシロ キョウ) :白兎東高校2‐C在籍。
(兼役推奨) 成績優秀、品行方正、スポーツも人並み以上にできる優等生。温厚篤実な性格から、
何かと頼りにされることが多い。
雨澤 棗(アマサワ ナツメ) :白兎東高校2‐C在籍。
大柄で無愛想、周囲から恐れられている少年。苛立つと筆記用具を折ることで有名。
花屋の息子。
能力は、身体能力の強化。
【女性】
葛城 柚乃(カツラギ ユノ) :都内の私立中学に通う14歳の少女。類稀なる美しさから、学校ではアイドルのような
扱いを受けている。お淑やかに振る舞っているが、実はお転婆な性格。「りく」と
相思相愛の関係だが、自分との交際が原因で彼が苛められていることを知り、ショックを
受ける。
柚乃の母、女生徒(兼役推奨):柚乃を溺愛する柚乃の母親と、柚乃の中学に通う女子生徒。
【中性】
りく(くまと兼役推奨) :都内の私立中学に通う、気弱だが心優しい、平凡な14歳の少年。鳥が好き。
葛城 柚乃と相思相愛の関係だが、学校のアイドル的存在である彼女と親密になった
ことで、嫉妬による苛めの被害者となる。
くま(白馬) :バルーンアートでできた、巨大なクマ。後に白馬に変形する。
柚乃のために、彼女をプラネタリウム内部の鳥籠に閉じ込め、一条を誘拐する。
男生徒(兼役推奨) :柚乃の中学に通う男子生徒。
※以下、【】内は、間と状況説明。()内はルビ。
Mはモノローグ。
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【柚乃の回想。】
柚母:柚乃ちゃん、綺麗だわあ!
こっちの服も似合うんじゃないかしら? 髪型をこうして、アクセサリーはこのイヤリング……
ああ、素敵! 最高に綺麗だわあ!
柚乃M:人形みたいな、あたし
男生徒:葛城さん、いいよいいよ! 力仕事ならほら、僕達が代わりにやっとくから!
それより暑いしさ、食堂でアイスティーでもどう? もちろん奢るし!
柚乃M:特別な、あたし
女生徒:柚乃さま、可愛いしお淑やかだし、本物のお姫さまみたいだよねえ!
そうそう、あたしこの前、街で私服姿見かけちゃったの! もー超お洒落で、超お姫さまでー!
柚乃M:お姫さまみたいな、あたし
【間。
柚乃の回想。
3月のある日。休み時間。
教室を抜け出して、校舎裏へやってきた柚乃。
りくが、ベンチで図鑑を広げている。】
柚乃:なにしてるの?
りく:え。……ああ、葛城さん。こんなところに1人でいるの、珍しいな
柚乃:別に、散歩くらい、1人でしたら駄目?
りく:ううん、全然
柚乃:…………
りく:俺は、勉強中。図鑑、見てたんだ
柚乃:鳥の図鑑? どうして、こんなところで?
りく:校舎裏、木立になってるだろ。ここなら、声を聴きながら読めるから
柚乃:ふうん。あ。その鳥なら、柚乃も見たことある
りく:メジロっていうんだ。ええと……ほら。あそこに、仲良く並んでとまってる
柚乃:……本当。小さくて可愛い。でも、いまどうして、
りく:しーっ。耳を澄ませて
柚乃:え、…………
りく:聞こえた? メジロの鳴き声
柚乃:聞こえ、た
りく:声もすっごく可愛いよな。あの子たち、花の蜜が好きでさ。梅や桜の花が咲くと、蜜を吸いに集まって
くるんだ。目白(めじろ)って名前の通り、目のまわりが白くて、身体は鮮やかな黄緑色なんだけど……
柚乃:ふふ
りく:え、……あっ。
あはは、なんか、俺、語っちゃったね。ご、ごめん、葛城さん、
柚乃:柚乃。あたし、葛城さんって呼ばれるの、嫌いなの
りく:……え、ええ、っと……
柚乃:ねえ。よかったらもっと、聞かせてよ。鳥のお話
【間。
ゴールデンウィーク明けの週、水曜日。放課後。
柚乃のプラネタリウム前。
急降下してきたくま、狭間・八雲・雨澤と対峙する。
八雲は、雪代に化けたまま。】
くま:わーいっ! 子ウサギくんたち、みいつけた!
ねえ! キミも、柚乃ちゃんのお友達になってくれるよね?
狭間M:謎の楕円体を訪れた僕達の元へ、再び飛来した守護者。可愛らしい色彩の、巨大なバルーンアートのくま。
弾力のありそうな太い両腕を広げて、猛スピードで襲い掛かったのは……
八雲:はうあっ!?【捕まる】 ちょっ、いきなりハグとか心の準備がー!
狭間:八雲ッ!?
雨澤:てめえ、なんで避(よ)けねえんだ!
八雲:無理! あのスピードで迫られちゃ、なっつんはともかく俺には無理っすー!
くま:えへへ! さあ行こう、綺麗な子ウサギくん! キミは特別に、柚乃ちゃんの世界にご招待してあげる!
雨澤:っ、くそ、行かせるか! 待てコラァアアアッ!【飛び上がって、くまに蹴りを入れる】
くま:わーっ! いきなり蹴るなんてひどいよー!
雨澤:先に手ぇ出してきたのは、そっちだろうがああッ!【背中に回り込んで殴り付ける】
くま:うわーっ! 殴るのもひどいよー!
八雲:なっ、なっつんストップ、ストップ―! 攻撃すんの駄目っ、俺も一緒に飛ばされちゃうってー!
雨澤:っ、悪(わり)い! 確かに蹴ったり殴ったりは駄目だな……割れるかと思ったが、ブヨブヨしてて
全然効いてねえみたいだ
狭間:たぶん、衝撃を吸収しちゃうんだ! でも……縛れっ!【黒い糸が腕から放たれ、八雲の腕に巻き付く】
八雲:ほわっ!? 俺の腕がぐるぐる巻きにっ!
狭間:大丈夫、1人だけ連れていかせなんかしないから!
八雲:あは、はざまんかっこいー……でもこれ、両方向から思いっきし引っ張られたら千切れちゃわない……?
雨澤:つーかてめえは、いつまでその顔でいやがんだ!?
八雲:あー、そういや変身してたんだっけ……へ、変身解除ー……
くま:もう、キミたち、冗談は顔だけにしてよー!【糸を振り解こうと滅茶苦茶に飛び回る】
八雲:わわわっ!? 振り回すの無理、無理っすー!
くま:放してよ、放してよーっ!【滅茶苦茶に飛び回る】
狭間:くっ……!
雨澤:てめえこの風船野郎、暴れんじゃねえよッ!【くまの足を掴む】
くま:わー、足を掴まないでよー! みにくいだけじゃ飽き足らず乱暴なんて、可哀想な子ウサギくんだなー!
八雲:わわっ、なんか、余計、気持ち悪い揺れ方にっ……だからあ、無理だって、言ってんじゃん!
あんまししつこいと、神様仏様八雲様も、怒るっすよー!?
くま:え? わっ、熱(あつ)つつつっ、痛たたたっ!?【八雲を天高く放り捨てる】
八雲:ちょっ!? 普通放り投げますー!?
狭間:縮め!
【八雲の腕に繋いだ糸を縮める】 っ、引き寄せられても、受け止められる自信は、
雨澤:なら俺がやる、どけっ!
【八雲を受け止める】 ッ……くそ、危ねえな……
八雲:あ、あははー……ありがとーなっつん、受け止めてくれて。ちょっと惚れそう!
雨澤:さっさと降りろ。つーか降ろす
八雲:ちょー辛辣!
くま:痛いなあ、もう、何するんだよー! まあ、柚乃ちゃんのお友達になってくれる子ウサギくんだから、
喜んで許してあげるけど……あれれ?
八雲:なんすか、ひとの顔じろじろ見て! 言っとくけど、さっきのは自業自得だかんねー!
くま:なーんだあ! この前のみにくい子ウサギくんじゃないか!
八雲:へっ!?
くま:おかしいなあ、綺麗だと思ったのに……うーん、なんだか落ち込んじゃうな! こーんなとっ散らかった顔面を、
柚乃ちゃんに見せるところだったなんて!
八雲:そ、そこまでストレートにディスられたの初めてなんすけど!?
くま:でも、こうしちゃいられない! 柚乃ちゃんが待ってるんだもん! はやく、もっとお友達を連れていって
あげないと! じゃあねー! ばいばーい!【飛び去る】
雨澤:……行ったか
狭間:はあ、はあ……
雨澤:おい。てめえ、大丈夫か
狭間:ありがとう、大丈夫だよ。それより、八雲は? 大丈夫?
八雲:すっごい絶叫マシン乗った程度だから、身体は大丈夫っす……でも心は駄目かも、癒しが必要かも、
バナナ味みたいな甘ったるーい優しさを所望するっす……
狭間:ええと、
雨澤:おい、あの風船野郎、なんで急にてめえを離しやがった? てめえ、何かしやがったのか?
八雲:あー、あれっすか……俺の手のひらを、あいつがすげー熱く感じるように騙しただけっす。別に大したこと
ないっすよ……
狭間:そっか。八雲の能力って、変身する能力じゃなくて、五感全部を騙す能力なんだもんね? やっぱり八雲、すごい……!
八雲:なになに、すごい? ねえねえ、俺すごい?
狭間:う、うん、本当にすごい!
八雲:どや! ふふーん、ちょっと元気になったかも!
雨澤:……じゃあ、あの風船野郎がこの現金なアホを諦めたのは何でだ?
狭間:たぶん、綺麗なひとだけを集めてるからだよ。八雲は、条件に当てはまらなかったってことだと思う
八雲:は、はざまん、持ち上げといて叩き落とすとかひどくない!? なんだよー、あいつと揃ってブサメン認定かよー!
狭間:い、いや、別に、八雲が醜(みにく)いとか汚いとか思ってるわけじゃないよ!? むしろ、かっこいい方
だと思うけど、でも、美人ではないよね!?
八雲:わかんないじゃん! ひとによっては、ちょー美しー! って思うかも知れないじゃん!?
狭間:うん、そうかも知れないけど! でも雪代くんのことはたぶん、ほとんどのひとが美人だって判断するよね!?
雨澤:なるほど。あいつ、性格はともかくとして、顔だけはいい
狭間:性格も、いいと思うんだけど……
雨澤:要は、あの風船野郎の判断で、綺麗だと思った人間だけを集めてるってことか
狭間:そういうことだと思う。……あの守護者、「もっと」って言ってた。それってつまり、もう条件に合うひとを、
少なくとも1人は攫(さら)ったあとだってことだよね?
雨澤:だとすると、あの野郎がおいち、
狭間:え?
雨澤:一条をあの中に運んだ、ってことで間違いなさそうだな
八雲:まじかー、じゃあ、ますます中に入る方法を考えないと駄目じゃん! てか待って? もしかして、俺が
あのまま連れてかれてたら良かった感じ?
狭間:駄目だよ、それじゃあ八雲しか入れない。3人でいないと、危険だよ……いくら八雲の能力が、臨機応変に
対応できるものだからって、それでも打破できない状況に陥るかも知れないんだし
八雲:んー、確かにねー、中にあの毒舌くまさんしかいないとは限らないもんねー。そんじゃ、3人とも
顔面だけ超高偏差値な感じにしちゃう? キラッキラな超正統派イケメンに劇的チェンジさせちゃう?
雨澤:あ? ……想像するだけで不快なんだが、んなことが可能なのか?
八雲:3人ならギリでいけると思うんだよね。ただし、仲良く抱き合わなきゃ駄目っすけど! 触ってなきゃ駄目だし、
変えられる範囲すげー狭いから、すげー近くにいてもらわなきゃなんだよねー
雨澤:……おい、他の方法はねえのかよ
狭間:うーん。残念ながら、僕には他に思いつかないし、八雲の案ってすごく上手くいきそうだし……
なにより、なるべく早く助けてあげたいから、さ……
雨澤:【舌打ち】仕方ねえな
八雲:決まりー。じゃーハグしよ2人とも、ハグハグー
狭間:いや、でもせめて背中向けて立とう!? それはそれでシュールだけど、まだ耐えられると思うから!
八雲:もー、我儘だなー。でもさ、3人同時にユッキーレベルでしょ? しかも、みんな同じ顔じゃない方が
いいんすよね? いくら俺がハイスペックでも、流石にむっずいよー、激むずっすよー? 正直超心配っす、
変えたまま維持とか超絶心配っす、だからやっぱ真っ正面からハグしとこ?
狭間:ええっ!?
雨澤:……なあ。イラつきすぎて潰しちまったら悪(わり)いから、てめえらが俺にしがみついてくれねえか……
狭間:す、既に、イラつきすぎの域に達してない……?
八雲:あははは! よーし、作戦開始だー!
狭間M:致し方なく、僕達は抱き合うことになった。僕と八雲が、雨澤にしがみつく格好で。
途端に、八雲と雨澤は別人になった。難しいと言っていた割には、あっと言う間に。
八雲の言葉を借りるなら、超高偏差値な、感じ。キラッキラな、超正統派イケメンって、感じ……。
なんだか見覚えがあると思ったから、恐らく、芸能界で活躍している、男性アイドルか誰かをモデルに
したんだろう。僕の顔も、2人からは変わって見えているんだろうと思うと、なんとも居た堪(たま)れない
気持ちになったけど……ひたすら黙って耐えて、守護者が現れるのを待っていた。
いよいよ、雨澤の背後に負のオーラが立ち昇り……いや、立ち昇っているような幻覚が見え始めたとき。
あの、巨大なバルーンアートのくまが、歓声を上げながら急降下してきた
くま:わあ! 柚乃ちゃんのお友達になってくれそうな子ウサギくんが、こんなところにたっくさん!
わーい、わーい! 柚乃ちゃん、きっと喜ぶぞ!
狭間M:違和感しかない状況にも関わらず、嬉しそうに守護者は言った。
そうして、男子高校生3人を易々と抱え上げて、ふわりと空に舞い上がった。
風船に抱えられて空を飛ぶのなんて、当然初めての経験で。
緊張の余り石化する僕の横で、八雲が短く口笛を吹くのが聴こえた
八雲:すご、あっと言う間に真上まできた。あっ見て見て、天井に穴があいてくー
雨澤:そうか。この野郎が出入りするときだけ、都合よく開く仕組みってわけか
狭間:だ、大丈夫かな? 突然落とされたり、しないよね?
くま:いやだなー、そんなことしないよ!
狭間:わっ!? 聞こえてたの!?
くま:だってキミたちは、柚乃ちゃんのお友達になってくれるんだもんね! お友達はね、柚乃ちゃんの世界をもっと、
もーっと綺麗にするために、とっても大事な存在なんだ! だからボクも、大事に、大事に扱ってあげなくちゃあ!
八雲:ふーん。そう言う割にはぶん回してくれたけどー
狭間:や、八雲、あんまりそういうこと言ったら……!
八雲:へーい、自重するっす。おー、いよいよ突入っすよー
狭間M:僕達は、青空の下でぽっかりと口を開けた、夜の闇のなかへと降りていった。
そしてその先には、僕がファストフード店の窓のなかに見た光景が……
酷く奇妙で、酷く美しい光景が、広がっていたんだ
【間。】
八雲:ふーん。トゲトゲの塔のなかもすごかったけど、今回のブヨブヨのなかも結構すっごいねー
狭間M:まるで、プラネタリウムだった。
ドーム状の壁も、床も、深い藍色一色。そしてその空間を、数え切れないほどの煌めきが漂っている。
ただし、そこに星は一つもない。
星の代わりに空を巡るのは、花柄のカップとソーサー、銀色のティースプーン、海色の石のネックレス、
紅く熟した林檎、花を模した硝子細工、鳥を模した銅のレリーフ……。
それらはすべて、少女が焦がれるような、美しいもののコレクションだった
狭間:なんだか、気圧(けお)されちゃうね。ここには本当に、綺麗なものしか、あっちゃいけないみたいだ
雨澤:……【舌打ち】イラつくぜ
八雲:はざまん、なっつん、あれ。あの、鳥籠っぽいバルーンアートのなか
狭間:え、……あっ!
柚乃:だ、駄目ー! 勝手に連れてきちゃ、駄目だってばー! こらーっ! 返してきなさーいっ!
八雲:うひー、遠目からでも目映(まばゆ)い美少女。その隣には、これまた目映いおいちちゃん。
どうする? このままだと、俺らもあのなかに入れられちゃうっすよ?
狭間:……入れられて、みようか
雨澤:んだと? ……いや、いい。こん中じゃ、頭の方はてめえが一番頼りになりそうだ。てめえの判断に任せる
狭間:……ありがとう
くま:えへへ、柚乃ちゃん、ただいまっ! 見て見て、こーんなにお友達をつれてきたよ!
柚乃:も、もう! 誘拐は駄目だって言ってるでしょ!? 柚乃のためだって言うなら、お願いだから返してきてっ!
くま:うーん、5人で入るには、ちょっと狭いかなあ? よーしっ! えーい、鳥籠よ、広くなーれ!
【鳥籠が広がる】
八雲:なんと! この広さなら、インコが100羽入ってもだいじょーぶ!
狭間:いや、確かに鳥籠だけど、……っ! 鳥籠の上が開いてく……!
八雲:もしかして、このまま落とされる感じっすか? やば、はざまん、なっつん、顔隠して!
狭間:う、うんっ!
雨澤:馬鹿、両手で面(ツラ)覆ってたら受け身が……ったく、世話の焼ける野郎だな!
八雲:おー、かっこいい! 右手ではざまんを抱き締めて、左手で顔を……ちょ、俺は!?
雨澤:てめえは勝手にしがみついてりゃいいだろ、っ【落ちる】
八雲:理由はわかるけどー!【背中から落ちる】 いだっ……くなかった、ふわふわしてて良かったー
狭間:【着地】あ、雨澤くん、ありがとう……!
雨澤:……うるせえ
くま:えへへ、どうかな、どうかな? 柚乃ちゃん、ちょっとは寂しくなくなったかな? これで、もっと、
もーっと楽しく過ごしていけるよね!
柚乃:っ……だからあ、
狭間:【棒読み】う、うわーん! さびしいなー! もっと、お友達が欲しいなー! はやく、連れてきて
くれないかなー!
柚乃:えっ……あ、あなた、何言ってるの!?
八雲:ふーん……うんうん、まじですっごい寂しいなー! ねー? もっとお友達が増えないと寂しいよねー?
このくまさんに、もっともーっと、100人くらい探してきてもらいたいよねー?
柚乃:えっ!? ……う、うん、柚乃も、寂しい、かも?
くま:そっか! そうだよね、まだたったの4人だもんね! わかったよ、柚乃ちゃん! すぐに探してくるから、
お友達と仲良く遊んで待っててね!【飛び去る】
八雲:…………ふー。いなくなったね? はざまん、いまのでおっけー?
狭間:ありがとう、八雲。助かったよ
一条:はざま、やぐも
狭間:一条くん! 大丈夫? なにもされてない? 怪我は、ないみたいだけど
一条:大丈夫。きてくれて、ありがとう
狭間:当然だよ、僕達を頼ってくれたんだから。……ええと、ゆのさん、だよね? はじめまして、狭間です
柚乃:は、はじめまして、あたしは柚乃……あれ? さっきと、顔が変わってない?
八雲:はいはーい、それ俺の能力。はじめまして、八雲 紅緒(べにお)っす。よろしく、ゆのゆの
柚乃:ゆのゆの? それは、まあいいけど、でも、能力って?
狭間:たとえば、身体から糸が出たり、化けキツネみたいに姿を変えたり……そういう、ひととは違う特殊な能力が、
柚乃さんにもあるんじゃないかと思ったんだけど。もしかして、覚えがない?
柚乃:……ええと、ごめんなさい。ありません、全(まった)く
八雲:あれれ、仮説崩れ去る?
柚乃:カセツ? なんのこと?
八雲:ん、なんでも。てか、ゆのゆのほんと可愛いね? 黒髪ロングの色白美少女……お姫様が童話のなかから
抜け出してきたみたいっすねー、スノウホワイト的な?
もしかして芸能人とか? てかいくつ? 俺らと同じ高校生?
柚乃:普通の中学生ですけど……助けにきてくれたってことは、あやとくんがメールを送った相手ってこと?
そう言えば、制服が同じ……待って、あやとくん、高校生だったの!?
一条:高校2年生だよ
柚乃:ご、ごめんなさい! 柚乃、ずっとタメ口で!
一条:大丈夫
雨澤:おい、いつまで呑気に喋ってんだ。時間ねえんだろ、さっさと出んぞ
狭間:そ、そうだね。ごめん、雨澤くん
一条:……ゆきと、けんかしてたひと?
狭間:雨澤 棗(あまさわ なつめ)くんだよ。僕達と同じで、能力を持ってるんだ
八雲:なっつん、どう? このファンシーな鳥籠、攻略できそう? 待って、できなかったらまずくない?
ミイラ取りがミイラ状態じゃない?
雨澤:【舌打ち】ピーピーうるせえんだよ。……こいつもやたらブヨブヨしてんな。ぶち壊すのは無理だろうが……
間隔を広げんのは簡単にやれる。【出られるよう広げる】おら、とっとと出ろ
柚乃:うそ! 柚乃がどんなに頑張っても、びくともしなかったのに!
八雲:ひゅー、なっつん頼りになるー! さ、レディファーストっす。ゆのゆのとおいちちゃん、お先どーぞ
狭間:危険はなさそうだし、先に出て貰うことに異論はないけど……一条くん、男だよね?
一条:やぐも、きらい
八雲:場を和ませるためのジョークだってー!
【間。
鳥籠の外に出た、狭間、八雲、一条、雨澤、柚乃の5人。
出口を探して、プラネタリウムを調べて回っている。】
八雲:お、こんなところにユッキー発見
雨澤:な!?
一条:ゆき? やぐも、どこ?
八雲:これー!
雨澤:……んだよ、硝子細工の牡丹じゃねえか
八雲:ボタン? あー、あったねそんな名前の花。待って、これガラス? じゃー違うかー
雨澤:全然ちげえし、牡丹ってキャラでもねえだろ
八雲:はて、ボタンのキャラとは? てかなっつん、よくボタンだってわかったね?
雨澤:ああ? これだけ精巧なら間違える方が、……つーか、んなもんに気ぃ取られてる場合じゃねえだろ、
とっとと出口探せ
八雲:あいあいさー! ここらへんに隠し扉とかないかなー? んー、あーないっすねー、おっけー……
一条:…………
狭間:一条くん。雪代くんのこと、考えてるの?
一条:ゆき、ぜったい、心配してる。気にしないでって、言ったけど、してる
狭間:……そうだね。優しいひとだから。
でも、大丈夫だよ。僕達が一条くんを、絶対に、連れて帰るよ。……今回も、絶対に
一条:はざま
狭間:だから、無事に戻れたらさ。真っ先に、大丈夫だったよって、伝えてあげようよ。そしたら、きっと安心する
一条:うん。……ねえ、はざま
狭間:なに?
一条:ゆのが、ずっとはざまのこと、見てるよ
柚乃:うっ!?
狭間:ゆ、ゆのさん? どうしたの? なんか僕、変?
柚乃:ううん、全然っ! なんでもない! ほんとになんでもないからっ!
狭間:そ、そう? なら、いいんだけど。……ええと、出口、出口
柚乃:……やっぱり、出口なんてないと思う。柚乃、鳥籠に入れられる前に、結構必死に探したもん
狭間:ゆのさん……その、つらかったよね。でも諦めるのは、早いよ。5人で手分けして探せば、
見つかるかも知れないでしょ?
柚乃:5人で探しても、無かったら?
狭間:そのときは、他の方法を探そう。なんとか、しようよ。きっと、なんとかできるよ
柚乃:……なんとかできるって、表情(かお)じゃないよ?
狭間:ごめん。正直、ちょっと不安になってるんだよね。でもさ、僕1人じゃどうしようもないかも知れないけど、
八雲や雨澤くんがいるから。それに、一条くんとゆのさんも
柚乃:…………さっきは、じろじろ見て、ごめんなさい。ハザマ先輩、柚乃の好きなひとに、ちょっと雰囲気似てて
狭間:ぼ、僕が!?
柚乃:うん。ちょっと気弱なんだけど、穏やかで、ひたむきな感じで……いいひとなの。すっごく
一条:はざまだ
狭間:そっ、そんなこと、なな、ないと思うけどっ
柚乃:ふふ。……先週、お別れしちゃったんだけどね
狭間:え? でも、好きなひとって……その、まだ、好きなの?
柚乃:好きだよ。りくくんも、……向こうもね、まだ、同じ気持ちでいてくれてると、思うんだけど
狭間:じゃあ、どうして
柚乃:ほら、柚乃、目立ちそうでしょ? でも、りくくんはそうじゃなかった。だから……まわりが、ね。
許さなかった、っていうか。そのせいで、りくくんを、傷つけちゃった、っていうか。
……ご、ごめんなさい。こんなこと話してる場合じゃないってわかってるんだけど、つい
狭間:……大したことない僕のことを、大したことあるって、言ってくれたんだ
柚乃:え?
狭間:僕なんか、って、思ってた。まわりもきっと、そう思ってる。お前がどうして、そんなひとたちと一緒に
いられるんだ、って……誰も、声には出さなくても、目を見たら、何となくわかるんだ。
だけど……こんな僕のことを、大したことあるって、言ってくれたひとがいたから。僕も、自分のこと、
大したことあるんだって、思いたくて
柚乃:ハザマ、先輩
狭間:でも、やっぱり僕はまだ、1人じゃ何もできなくてさ。情けなくて、どうしても、焦っちゃうんだよね。それでも、
大したことあるひとたちが助けてくれるから、なんとか立ち止まらずにいられてる。
それは、すごく嬉しいことで、すごく、幸せなことで……でも、やっぱり、結構、焦るんだ
柚乃:…………
狭間:ごめん、よくわからないよね。ただ……ゆのさんの好きなひとも、そんな気分だったんじゃないかなって、
思ったんだ
柚乃:【独り言】……ばか。大したことないわけ、ないじゃない
狭間:ゆのさん?
柚乃:ううん、なんでもないの。でも……
大したことあるって、思えるようになったら、柚乃のこと、迎えに来てくれるかな
一条:ゆのは、
柚乃:え
一条:迎えにきて、もらいたいの?
狭間M:そのときだった。
昼の目映(まばゆ)さが差し込んできたと思ったら。夜が、天井が、裂けていた。
そして、その裂け目から、僕達を見下ろしていたのは
くま:あーっ! 柚乃ちゃんも、お友達も、鳥籠の外に出ちゃったの?
柚乃:……っ!
八雲:あちゃー、タイムリミットかー。案外早かったね?
くま:そっかあ! あんまり綺麗な世界だから、今度は近くから、じーっくり見たくなっちゃったんだね?
八雲:あはは、すげーポジティブで助かっ……て、ないかー
くま:でも、どうして? どうして柚乃ちゃんの世界に、可燃ゴミが混じってるの?
八雲:素顔見られちったもんね。心中どころじゃなく穏やかじゃない感じ?
雨澤:ハッ。なにが、どうして、だよ。自分で連れてきたんだろうが、節穴野郎が
くま:うーん、どうしてかな、どうしてかな? わからないや……でも、しょぼんとしてたら駄目だよね?
ゴミは、きっちりゴミ捨て場に戻しておかなくちゃ!
柚乃:駄目っ、くまさんやめてッ!
狭間:大丈夫! 大丈夫だから……一条くん、ゆのさんを連れて下がってて
一条:はざま。でも、なんだか、はざま、
狭間:お願い
一条:……わかった。ゆの、こっち!
くま:よーし! いっくぞー、おそうじおそうじー!
狭間:雨澤くんっ、そっちに、
雨澤:遅(おせ)えッ!【避けて後ろに回り込む】
くま:あれれ? おかしいな、ここにいたはずなんだけど……
雨澤:んなノロマに、捕まるかよッ【蹴飛ばす】
くま:わーっ!【壁にぶつかってむにゅっとする】むにゅっ!
八雲:わお、蹴っ飛ばされて壁ドン、いや、壁むにゅ? でも、やっぱ打撃は効かないんすねー。くうう、大剣でも槍でも
薙刀(なぎなた)でも苦無(くない)でもいいから、刃物使いがパーティーインしてたらー!
くま:うー、ひどいなあ、ぶにゅっ!【狭間の糸で壁に押し付けられる】
八雲:おーっ、続けてはざまんの糸でも壁ぶにゅ! 息の合った2(ツー)コンボー!
柚乃:は、ハザマ先輩の手から、黒い、糸みたいなのが……!? そ、それに、なんなの!? さっきのあのひとの動きっ!
一条:あれが、2人の、能力だよ
狭間:割れないなら、動きを封じる……っ! 時間稼ぎにしか、ならないかも、知れないけど……ッ!
雨澤:おいアホ! あの文化系野郎すげーキツそうなんだが、いつもあんな感じなのか!?
八雲:んー、消耗激しいみたいなことは言ってたけど、前は別に……あ! もしかして、ここ来る前に、すっごい
走り回ったからかも!
雨澤:クソ、やっぱりバテてんじゃ……おい、なんかねえか、穴を開けられるような鋭利なもんは!?
八雲:んーと、とりま、俺の周りにはナッシング!
雨澤:なら、てめえの力で変えろ!
八雲:切羽詰まってるから説明省くけど、つまるところ無理っす!
雨澤:ッ、役に立たねえ野郎だな! 仕方ねえ、割れるまで何発でも叩き込んで……なっ!?
狭間M:変化は、唐突に始まった
柚乃:う、うそ……く、くまさんが……どんどん大きくなってく……っ!?
狭間M:風船が、空気を吹き込まれて膨らむみたいに。ただでさえ巨大だった身体は、更に大きく、大きく、膨らんでいった。
拘束を破ろうとする力も、大きさに比例して増していって。
僕は、後退を強いられながら、それでも、歯を食い縛って、耐えていたけど……
狭間:ぐ、ぐぐ、ぐ……っ、あああぁっ!
一条:はざまっ!
狭間M:能力は、強制解除された。
弾き飛ばされて……気付けば無様に尻餅をついて、茫然と、守護者の変化を見届けていた。
膨らんで、膨らんで。耳の天辺が天井に触れあうほど、肥大したその姿。その、現実離れした巨大さに。
きっと、僕だけじゃない。その場にいた誰もが、圧倒されてしまっていた
くま:ふう、すっきりした! えへへ、どう? ボク、とーっても強そうでしょ?
柚乃:あ……あぁ、あ……!
八雲:うげ。もうこれ、怪獣じゃん
くま:柚乃ちゃん、大丈夫! 何にも心配は要らないよ! この世界を汚染する、みにくい生ゴミは、みーんな、
ボクが捨ててきてあげるからね!
狭間M:振り上げられた、光沢のある巨大な腕。
夜空を煮詰めて濃くしたような、真っ暗なその瞳に
雨澤:クソ! 怯んでる場合じゃ、ねえだろうが……ッ!
狭間M:僕の姿が、映っていた
【同時に】
くま:えええーいっ!
雨澤:間に合え……ッ!【潰されそうになっている狭間に駆け寄る】
柚乃:やめてええええええええええッ!
狭間M:落ちてくる、と認識してから、まわりの全てはスローモーションで。
だからこそ。柚乃さんの声に、守護者が一瞬、躊躇(ためら)ったのがわかったんだ。
そして僕は、その僅かな隙に、巨大な手のひらの下から離脱した。雨澤の、おかげで
雨澤:【舌打ち】……ヘバってんなら、最初からそう言えよ。手間、掛けさせてんじゃ、ねえ
狭間:雨澤、くん……ありがとう。ごめん、僕、時間稼ぎもできなくて……
雨澤:ッ! そうじゃ、ねえだろうが!!
ありがとうとか、ごめんとか! んなこと言ってる場合じゃねえだろ!!
あの野郎が一瞬動きを止めてなかったら、てめえ、死んでたんだぞ!!
狭間:……死んで、た?
雨澤:呑気にも、ほどがあんだろ。遊びにでも来た、つもりかよ
狭間:……雨澤くん、ごめん。ありがとう
雨澤:っ、だから!【狭間の肩を強く掴む】
狭間:いッ……!?
雨澤:っ! ……悪(わり)い。肩、握り込んじまった
柚乃:……【俯いて、歯を食い縛って震えている】
くま:うーん……駄目だ、いくら考えてもわからないや! ねえねえ、柚乃ちゃん! どうしてやめてなんて言うの?
ボクは、柚乃ちゃんと、この綺麗な世界を、薄汚い子ウサギくんたちの手から守ろうとしてるんだよ?
柚乃ちゃんも、それを望んでるんでしょ?
柚乃:っ……違うッ! 柚乃、望んでなんか、ない……ない、けど……
くま:ボクは、柚乃ちゃんのためなら、どんなことだってしてあげたいんだよ! この世界で、柚乃ちゃんが幸せに
なるためなら、ボクは、どんなことだって、
柚乃:柚乃っ! この、綺麗な世界が、大好き!!
雨澤:……ああ?
柚乃:だって……だって、この世界なら、柚乃、傷つかないもんね!? 柚乃がこの世界にいれば……柚乃が
寂しくないって言えば、誰も傷つかないもんねっ!? 最高だよ!! 綺麗なものだけしかなくて、柚乃が、普通で
いられる……だから、大好き!!
一条:ゆの、
柚乃:外になんか、出たくない……友達も、恋人も、要らないよ……誰かといたって、人目を気にしてつらいだけ……
だから、もうやめてよ!! みんなを、ここから、出してあげて!!
くま:やったー! 柚乃ちゃん、やっとわかってくれたんだね? わーいっ、わーいっ!
八雲:げー、万歳するだけで大迫力
くま:そうだよね、そうだよね! この世界は、こーんなに綺麗なんだもん! 綺麗な柚乃ちゃんにぴったりのこの世界なら、
柚乃ちゃんは幸せに生きていけるんだよ! だから……汚れた外の世界のことなんか忘れて、ボクと、ずーっと
一緒にいようね!
雨澤:ハッ!
狭間:……雨澤、くん?
雨澤:笑わせんなよ。ここの……どこが、綺麗なんだよ
柚乃:……え?
雨澤:脅迫じみた真似しやがって……イラつくんだよ。んなの、ただの、牢獄だろうが! 押し付けがましいだけだろ、
鬱陶しいだけだろ、窮屈なだけだろッ……こんなもんに……あの女に、んな顔しかさせられねえもんに……
綺麗なんて言葉を、使うんじゃねえよ!!
柚乃:……っ!!
雨澤:何もかも、気に入らねえ……だから、ぜんぶぶち壊してやる
八雲:なっつんヤバい、かっこよ過ぎて痺れる! でもさー、どうすんの? パンチもキックも効かないんだよ?
雨澤:余計な心配してんじゃねえよ。ぶち壊すのはあの野郎じゃねえ、……っ【漂っていたものを握り潰す】
くま:あーっ! 柚乃ちゃんのコーヒーカップを握り潰したなー! なんてことするんだ、このジャガイモ!
狭間:……雨澤くん、手が、
雨澤:どいつもこいつもうるせえな。動けねえならせめて、頭を使え。こいつを何とかする方法を考えろ
狭間:……そうだよね、本当に。きみがいてくれて、良かったよ
雨澤:ハッ。そういうことは、終わってから言えってんだ!【漂っていたものを蹴り壊す】
くま:あーっ、今度は、柚乃ちゃんの林檎を蹴り壊したー! よくもやったなー! キミだけは許さないぞー!
雨澤:ようやくその気になったかよ……ハハ! 覚悟はいいか、節穴のクソ風船野郎があああッ!【飛び上がる】
柚乃:あ………
狭間M:雨澤は、迫りくる巨大な手を掻い潜りながら、次々と、偽りの星を破壊していった。
躍動する。激しく。瞬(まばた)きの間の休止さえ許さず。偽りの夜空に、深紅の血を散らしながら。
八雲に支えられながら、救うべき2人のところへ避難した僕は……思わず、見入ってしまったんだ。
砕け散った星の残骸は、なおもきらきらと輝いていた。彼の破壊の痕跡は、本物の星空のように、
柚乃:綺麗、だね
一条:ゆの、泣いてる。悲しいの?
柚乃:……ううん。嬉しいの。あのひと、王子様みたいだね
八雲:王子様ー? 確かに、俺でも惚れちゃいそうなくらいカッコいいけど、ヒーローって言うよりは
ダークヒーローっぽくない?
柚乃:王子様だよ。柚乃を、この世界から連れ出そうとしてくれてるんだもん。あのくまさんから、守ろうとして
くれてるんだもん。
……ううん、あのひとだけじゃない。ハザマ先輩も、ヤグモ先輩も……柚乃の、王子様だね
八雲:まじかー! 王子様いただきましたー!
狭間:あ、あはは、なんか、照れるね……じゃあ、ゆのさんも僕の王子様だね。女の子、だけど
柚乃:柚乃、が?
狭間:さっき、助けてくれたでしょ? 僕を……僕達を助けるために、あんなこと、言ってくれたんだよね?
柚乃:……柚乃が、ハザマさんの、王子様?
狭間:ゆのさんと雨澤くんがいなかったら、僕、いまここにいないかも。ありがとう
八雲:ほらほら、悠長に話してる場合じゃなーい! あの怪獣相手に、ロボットも超人も無しでどう渡り合うのか考えないと!
狭間:そ、そうだね! ええと、あのくまを何とかする方法か、ここから脱出する方法……
柚乃:……そっか。柚乃……
一条:ゆの?
柚乃:……柚乃は……柚乃の、本当の望みは……
くま:もう、ちょこまかとー! 手の施しようもないブサイクのくせに、すばっしっこいなー! 待てー!
柚乃:……ッ!【駆け出す】
八雲:へっ、ゆのゆの!? ストップストップ、危ないって、そっちは怪獣が大決戦中ー!
狭間:ゆのさんっ、
柚乃:【立ち止まる】っ……こらあああああ! この、くまさんめっ! 好き勝手するのは、もうおしまいよッ!
雨澤:ッ! あの女、
くま:柚乃ちゃん! ごめんね、せっかくの綺麗な世界を、めちゃくちゃにされちゃって……だけど、安全なところで
もうちょっと待ってて? いま、害悪の子ウサギくんを、
柚乃:もう、いいって言ってるの! 命令よ! いますぐ、柚乃たちをここから出しなさい!
くま:柚乃ちゃん?
柚乃:……気づいたんだ。柚乃、王子様を待ってたの。上から目線から、柚乃を守ってくれる王子様。柚乃を、窮屈な
世界から連れ出して、自由にしてくれる王子様。
だけど……王子様は、傷ついて、柚乃から離れていっちゃった
一条:……ゆの
柚乃:くまさんの言う通りだった。柚乃は、望んでここに来たんだね。ひとと違うことを、気にしなくていい
場所で……柚乃が特別じゃない世界で、それでも、王子様が助けにきてくれるのを、待っていたかったんだもん。
だけど、それも、もうおしまい。王子様を……りくくんを待つのは、もうおしまい。
りくくんは、すっごく大したことあるひとなの。りくくんには、わからなくても、柚乃には、わかる……。
だから、馬鹿になんて、もうさせない。柚乃が、りくくんを守るんだから……りくくんと一緒に、柚乃だって、
戦ってやるんだから!
もう、お人形でなんか、いてあげない……お姫様でなんか、いてあげない! 柚乃が、りくくんの、
王子様になるのよッ!
くま:柚乃ちゃん……そっかあ
柚乃:そうよ! だからもう、おしまいなの! あたしは、りくくんを、迎えに行かなくちゃいけないんだから……
だからいますぐ、ここから、だしなさああああああああああああああああああああああいッ!
雨澤:な、……ッ【牡丹の硝子細工を庇う】
八雲:ひーっ壮観! 星も鳥籠も、ぜんぶ一気に粉々じゃん!
狭間:ぼ、僕達は平気みたいだけど……まさか、これが、ゆのさんの能力?
八雲:まじで? リアルに声が武器じゃん!
柚乃:ゆ、柚乃の……能力?
狭間:やっぱり、ゆのさんも、僕達と同じ能力者だったんだね!?
柚乃:の、能力者? 柚乃が!?
一条:でも、くまは
八雲:割れてないっすね、無傷っすね、ちょーピンピンしてるっすねー
柚乃:っ! ちょっとくまさん、柚乃の言うこと、聞いてた!? 柚乃に作られたって言うなら、ちゃんと柚乃の命令を、
くま:わかってるよ、柚乃ちゃん。もう、要らないんだね。僕も、この世界も
柚乃:え、
くま:柚乃ちゃんの望みは、僕の望みだ。だって僕は、柚乃ちゃんの夢だから。僕は、柚乃ちゃんが望んだから
生まれてきた。柚乃ちゃんが、夢から覚めることを望むなら……僕は、喜んで割れるよ
柚乃:くま、さん……?
くま:よーしっ! 割れる前に、柚乃ちゃんの、最後のお願いを叶えなくっちゃね!
八雲:ちょっとちょっと、なんか変形してくんですけどっ! 変形は正義のロボットの担当って相場が決まってんのに!
狭間:よ、よくわからないけど、でも、くまが……っ!?
白馬:さあ、柚乃ちゃん! 君と勇敢な子ウサギくんたちを、どうか、僕に送り届けさせておくれよ!
一条:白い、馬に?
雨澤:……ハッ。王子様の乗り物、ってか
柚乃:ね、ねえ。あなたは、誰なの?
白馬:言ったでしょ? 僕は、君の夢だ。君の望んだ幻だ
柚乃:夢? 幻? ……柚乃たちを、連れて帰ってくれるの?
白馬:もちろんさ。君がそう望むから
柚乃:そのあとは? あなた、割れちゃうの? ゆ、柚乃は別に……もう誰にも迷惑をかけないって約束してくれるなら、
そこまで、しなくたって……!
白馬:優しい柚乃ちゃん、ありがとう。でも、君は望んでるんだ。夢の終わりを、望んでる
柚乃:……っ
白馬:静かな夜は、もう終わりさ。朝が来るよ、柚乃ちゃん。賑やかな子ウサギくんたちが、太陽を連れてきた
狭間M:大きな白馬に跨(またが)って、僕達は、夜の世界を抜け出した。
無数の星の破片が、漂うなかで……雨澤が、懐から取り出した硝子細工を、そっと浮かべるのを見た。
美しい、牡丹の花の硝子細工。唯一破壊から逃れたそれは、雨澤の手を離れて、穏やかに漂って……
星空と一緒に、七色の泡のようになって消えていった。
白馬は、名残惜しむように、ゆっくりとモノクロの空を駆けて……
やがて、宙に浮かぶ自動ドアの下で、僕達をそっと降ろしてくれた。柚乃さんの手荷物も、返してくれた
一条:ゆの、泣いてる。外に出られて、嬉しいの?
柚乃:……ううん、わからない。嬉しいのか、悲しいのか……自分のことなのに、どうして泣いてるのか、わからないの
一条:そっか
白馬:柚乃ちゃん、ありがとう
柚乃:……ありがとう?
白馬:僕を作ってくれて、本当にありがとう。君の夢として生まれて、幸せだったよ。
頑張ってね。負けないでね。大事だと思うものを……君と、大事なひとの力で、守るんだよ。
君なら、きっと大丈夫。柚乃ちゃんは、綺麗なだけじゃない。ちょっと我儘で、怖がりで、とびきり
可愛くて、とびきり強い……とびきり素敵な女の子なんだからさ
柚乃:……ありがとう。白馬さん
白馬:じゃあね。ばいばい
狭間M:5月の物語の終わりに、白馬は、音もなく割れた。
彼女のプラネタリウムがあった空には、まだ少し蒼が残っていた。七色の泡になった白馬は、静かに、
その蒼へと、昇っていった。
大粒の涙を流しながら、消滅を見届けた柚乃さんは……それまでのどの瞬間より、とびきり美しく見えたんだ
【間。
金曜日。都内の私立中学校。
りくくんのクラスに乗り込んで、彼の前に仁王立ちする柚乃。】
りく:あ、……柚乃、ちゃん
柚乃:おはよう、りくくん
りく:おは、よう。……大丈夫? その……何日か、休んでたみたいだけど
柚乃:ありがとう。大丈夫。むしろ、前より元気そうに見えるでしょ?
りく:……髪、切ったんだな。短いのも、似合う
柚乃:ありがとう。これから暑くなるし、動き回るのに邪魔になると思ったから。
ほら。バードウォッチング、連れていってくれるんでしょ?
りく:……あのさ。言ったよな? 俺、もう、柚乃ちゃんとは
柚乃:【鋭く息を吸って】りくくんの、馬鹿っ!
りく:え、ええっ!?
柚乃:馬鹿だよ、りくくんは、ほんと馬鹿! だけど、柚乃はもっと馬鹿……りくくんも、柚乃のことも、馬鹿って言って!
りく:ゆ、柚乃ちゃん、どうしたんだよ? なんか、雰囲気が、髪のせいだけじゃなくて、
柚乃:いいから、黙って馬鹿って言いなさい!
りく:だ、黙ってたら、言えないけど、……ば、ばか?
柚乃:疑問形じゃ駄目! ちゃんと柚乃に、どーんとぶつけるの!
りく:っ……ば、馬鹿! 柚乃ちゃんの、馬鹿!
柚乃:それでよしっ! ……あのね。柚乃、やっぱり、りくくんのことが好き
りく:……っ、
柚乃:りくくんは、ゆのにとって、大したことある大事なひと。誰が何て言おうと、一緒にいたいの
りく:……ありがとう、すごく嬉しいよ。だけど柚乃ちゃん、俺は、
柚乃:だから、迎えに来たの。さあ、とっとと立つ!【腕を掴んで立たせる】
りく:わっ!?【引き起こされる】
柚乃:みんな、いい!? このひと、あたしの大事なひとだから! このあたしが選んだひとだから! 誰にも文句なんて
言わせない……もしもいじめたりなんかしたら、柚乃の、この拳が、直々に唸っちゃうわよ!
りく:こ、拳って……柚乃ちゃん、ほんとにどうしちゃったんだ!?
柚乃:りくくん、ごめんね。柚乃、素直になることにしたの。……柚乃のこと、嫌いになった?
りく:な、なるわけない! ……むしろ、前より、もっと、いいと思う、かも。でも……
柚乃:それなら、でもとか、言わないで。 ……大丈夫。柚乃が、りくくんを、守ってあげる。
だから、りくくん。お願い。りくくんも、柚乃の、王子様でいて。ね? また、鳥のお話、聞かせてよ
柚乃M:ここが、あたしの世界。
綺麗なものだけじゃない世界。騒々しい昼も、悲しい夜も来る世界。
それでも、この世界が……大切なひとと、一緒に戦っていけるこの世界が、あたしの、大事な世界なの
【間。
金曜日。昼休み。
白兎東高校2‐A教室。
席でぼーっとする狭間と、狭間の前の席に勝手に座る八雲。】
八雲:お昼お昼ー、今日も今日とてメロンパンー。あら? もしもーし、はざまん、上の空っすか?
狭間:え、あ、いや……ごめん!
八雲:いや、謝らんくてもいいけど。なんか、授業中もすげー眠そう、ってかぼーっとしてる感じだったけど、大丈夫?
狭間:大丈夫! い、今読んでるミステリーが面白くて、昨日の夜ちょっと夜更かししちゃっただけだから!
……というか、授業中に僕のこと見てたの?
八雲:そりゃ見るっす、愛してるもーん
狭間:だから、そういうの冗談でもやめてって……
八雲:照れなくてもいいのに。お? ゆのゆのから、グループにメッセージ来てんね。
……あはは。無事により戻せたみたいっすねー、めでたしめでたし
狭間:それに、ファンクラブの子に、一生ついていきます、って泣かれたって……すごいね、一般人のファンクラブ
なんて実在するんだ
八雲:へ? うちも普通にあるよ、ファンクラブ
狭間:そうなの!?
八雲:ユッキーとか。去年同じクラスだった、D組の中川って子が会長でさ
狭間:雪代くん……確かに、人気がありそうだと思ってたけど……
八雲:ちなみに、ファンクラブはないけど、俺もファン多数だから
狭間:いや、冗談はいいから
八雲:冗談じゃないー! てかさ、ゆのゆのが通ってる私立中学のこと検索してみたんだけどさー。じゃーん
狭間:えっ、この写真の学校!? というか、これ学校なの!?
八雲:ちょーでかいし、ちょーリッチな雰囲気。はー、距離的にもグレード的にも遠くにいる子だったんすねー
狭間:驚いたよね……東京都在住、なんてさ
狭間M:柚乃さんとは、連絡先を交換してから、すぐに別れた。
5人とも疲れ切っていたから、あの世界や、能力についての話は、また後日することにしたんだ。
同じ自動ドアから出て、柚乃さんが元の場所へ戻れるのか心配だったけど……ファストフード店の前に
出たのは、白兎東高校に通う僕達4人だけ。
柚乃さんからは直後にメールが来て、都内の、ある雑貨屋さんの前に出たと教えてくれた。
どうして、遠く離れたところに住む彼女と、あの場所で会うことができたのか。
それだけじゃない。あの場所については、わからないことしかないくらいだけど……
八雲:考えても仕方ないって。このバナナメロンパンがバナナメロンパンであるように、あそこはそういうもんなんだって
割り切ってた方がいいって
狭間:……それで、いいのかな
八雲:いいの。てかウケんね。ゆのゆの、なっつんのことだけ師匠って呼んでんの
狭間:そうかな、別にウケないけど
八雲:だってさー、「綾人くん、狭間先輩、八雲先輩、はあと」からの、「そして、師匠!!」だよ?
おっ、タイムリーになっつんからの返事が……ちょ、待って、ヤバい!
狭間:「誰が支障だ」って……誤字だね、「師匠」が、差し支えの方になってる
八雲:「なっつんまじかわ、まさかの天然キャラ、ギャップ萌え必至」と
狭間:怒られるよ!? 隣の隣のクラスにいるんだし! ……ほ、ほら、「居間そっちに行く」って! また誤字に
なってるけど、「今」がリビングの方になってるけど!
八雲:大丈夫大丈夫、本格的にヤバそうなら、おいちちゃんかユッキーにガードしてもらうから
狭間:なんでその2人なの!? ……でも、すごいな。アプリを使ったら、複数人とこんなふうに会話できるんだね
八雲:んーと、はざまんってもしかして、10年くらい前からタイムスリップしてきてたりする?
狭間:してきてないよ! ……あ!
八雲:ユッキーと師匠じゃん、やっほー
雨澤:おいアホ、立て。望み通り潰しに来てやったぞ
雪代:こら、物騒なことを言うな!
雨澤:何も知らねえくせに、口挟んできてんじゃねえよ。つーか、なんでついてくんだよ、うぜえな
雪代:雨澤についてきたわけじゃないぞ。狭間さんと八雲と一条に用があって来たんだ
雨澤:【舌打ち】なら、タイミングずらしやがれ
雪代:わかった、次からそうする。……狭間さん、八雲。よかったらこれ、どうぞ
八雲:おー、例のクッキーじゃん! 作ってきてくれたんだ、ありがとー!
雪代:約束していたからな。一条のことを頼まれてくれたし、そのお礼も兼ねて
狭間:作ってきた、って……手作り!? これがっ!? い、いや、雪代くんの料理の腕は、サンドイッチで
十分過ぎるほどわかったけど……っ!
八雲:はざまん、ユッキーのクッキーすっげー美味いよ、お店の味
狭間:う、うん、見た目からして完璧だし、綺麗なラッピングだしで、手作りとはとても思えないくらいだけど……
い、一体、どうしたら、いいのか……!?
雪代:ふふ、可能なら召し上がってくれ
狭間:で、でも、そんなことしたら、今日の放課後あたり、ファンに闇討ちされそうで……
八雲:大丈夫大丈夫、ユッキーファンはユッキーのこういうとこが堪(たま)んないらしいし。
それにほら、もし闇討ちされそうになってもさー、ユッキーが守ってくれるよ。王子様みたいに!
ユッキーにとってはざまんは、たぶん、大したことあるひとだから。ねー?
雪代:…………
狭間:……雪代、くん?
八雲:ふむふむ、ユッキーがはざまんを見つめ、はざまんが見つめ返してるの図。無言の肯定ってやつっすか?
でも、だめー!
狭間:ちょっ、危なっ!? 机挟んで抱きついてこないで、そもそも抱きついてこないで!
八雲:はざまんは俺のー! すなわちはざまんは俺が守るー!
狭間:き、気持ちは嬉しいけど、ひとの話は聞いてって!!
雪代:……、【狭間の頭を撫でる】よしよし
狭間:え、
雨澤:な!?
雪代:あ。ごめん、つい
雨澤:なっ、おまっ……つい、で頭撫でるか普通!?
八雲:はざまん、もしもーし。あーあ、ユッキーが誘惑したせいではざまんが石になっちゃったー
雪代:誘惑なんて、したつもりは……だ、だが、狭間さん、本当にごめん! ええと……一条にもこれ、
渡してくるなっ!?
狭間:……えっ、あっ!? ゆ、雪代くんッ、く、クッキーありがっ、ありがとうー!
八雲:あはは、ユッキーが離れてったら石化とけた
雨澤:【舌打ち】……まじでどうかしてんだろ、くそ
八雲:そういえば、なっつんはクッキー貰えたの?
雨澤:んなもんこっちから願い下げだ
八雲:ふーん、どんまい
狭間:そっ、それにしてもさ! 傷、治ってよかったよね、雨澤くん!
雨澤:ああ? ……まあな。流石に、あれだけ切っちゃマズいと思ってたが……まさか、おいち
狭間:え?
雨澤:一条に、あんな真似ができるなんてな
八雲:ほんとおいちちゃん様々っすね、癒しの天使。でも可愛かったなー、あのときのなっつん!
雨澤:……んだと?
八雲:おいちちゃんが間近に来たときさー、あからさまに照れてたじゃん? 目も合わせらんない感じ、すげーウブでさー、
お礼言うときもさー、なんかこう、あ、ありがと……、みたいな? みたいなー?
雨澤:おい、てめえの筆記用具、根こそぎ寄越せ
八雲:えー無理、絶対やだー
狭間:だから八雲っ……雨澤くんも、落ち着いて……!?
雨澤:……くそ、イラつくな。いいか、もう二度とくだらねえメッセージを送ってくんな。あっちのことについて
情報交換するために、一応残ってやってるが……次ふざけた真似しやがったら、すぐ退室してやるからな
狭間:あっ、雨澤くんっ、
八雲:善処しまーす。……あーあ、リアルじゃもう退室しちゃった
狭間:……八雲は本当に、雨澤くんをあんまりからかわない方がいいと思う
八雲:あはは、珍しくマジトーンだ、ごめんってー。可愛いからつい構っちゃうんだよねー
狭間:可愛い、って……
雪代:【一条に】こら。またお昼、食べてないんだな?
一条:うん。でも、大丈夫だよ
雪代:大丈夫じゃない。午後からも頭を使うんだから、少しでも何か……まさか、朝ご飯も食べていないのか?
一条:…………
雪代:よし、わかった。来週から、またちゃんと昼ご飯を食べる習慣がつくまで、お弁当作ってくる。なにか、
食べたいもの、あるか?
一条:……卵焼き。だけど、ゆき、
雪代:わかった、卵焼きだな。とりあえず今日は購買で何か、
一条:今日は、ゆきのクッキーが、あるから
雪代:クッキーはご飯じゃないぞ?
八雲:……はー、まじで視線殺到コンビ。同性ながら目の保養になりますなー
狭間:ほんと、お母さんみたいだよね
八雲:あはは。母の日もうすぐだし、カーネーションでもあげてみる?
狭間:男だし、高校生なんだけど!?
八雲:男だし高校生でも、ユッキーならすげー喜ぶと思うけど
狭間:それは、喜んだふりはしてくれるだろうけど、内心は……でも、そっか。今週末、母の日か
【間。
土曜日、放課後。
雨澤の自宅である、フラワーショップレインの建つ通り。
携帯と街並みを交互に眺めながら、1人歩く狭間。】
狭間:フラワーショップレイン、フラワーショップレイン……あ、あった! はあ、思ったより歩いたけど……
ちゃんと帰れるかな、携帯の地図って、ちょっと見づらい……え? わっ、やっぱり降ってきた!
狭間M:店主が急病らしく、商店街の花屋は、母の日を目前にして臨時休業になっていた。
というわけで、なるべく近くの花屋を検索した結果。こうして、住宅街に建つ、レインという花屋を
訪ねることにしたのだけれど。
朝から鬱屈としていた曇り空が、とうとう泣き出して。慌てて、目的地の軒下に駆け込んだ
狭間:……よかった、折り畳み傘、持ってきてた。本と花だけは、死守しなくちゃ
雨澤:おい
狭間:うわあああっ!?
雨澤:っ……んだよ、声掛けただけだろうが。近所迷惑な野郎だな
狭間:えっ、あ、雨澤くん!?
雨澤:んなとこで何してんだ。雨宿りか?
狭間:い、いや、カーネーションを買いに……って、あれ? 中から出てきたんだよね?
雨澤:家(うち)から出てくんのが悪(わり)いのか
狭間:うち!? あっ、レインって……雨! 雨澤の、雨ってこと!?
雨澤:安直な名前だろ。……つーか、用があんならさっさと入れ、濡れる
狭間:え……あ、ありがとう
雨澤:てめえじゃねえ、花が濡れるっつってんだ
狭間:そ、そっか、そうだよね、迷惑だもんね! お邪魔、します。…………、
雨澤:カーネーションならそこにあんだろ。なにきょろきょろしてんだよ
狭間:お花屋さんって、あんまり来たことないから、いろいろ珍しくて。ねえ、もしかして、お店番してるの?
雨澤:【舌打ち】お袋に押し付けられたんだよ。帰ってきて早々配達行きやがって……制服着替える暇くらい寄越せってんだ
狭間:そう、だったんだ
雨澤:…………
狭間:……あのさ。八雲が、雪代くんにカーネーションあげたらどうかって、言うんだ。おかしいよね
雨澤:おかしいどころか、正気の沙汰とは思えねえな。……おい、まさかてめえ、まじであの野郎にやるために買いに
来たんじゃねえだろうな
狭間:流石にそんな失礼なこと、しないよ。今日は、お世話になってる、りょ……叔母さんに、あげたくて
雨澤:おばさん? お袋には、いいのか
狭間:母さんには、もうあげたんだ。叔母さんが、白いのを買ってくれて
雨澤:……そうか。悪(わり)い
狭間:え? あ、そっか。白いカーネーションって、そういう意味なんだよね
雨澤:……おばさんか。なら、赤か……おい。まだ若いのかよ
狭間:母さんとは歳の離れた姉妹だったから、確か、30代前半だったと思うけど
雨澤:……ピンクのが、いいかも知れねえな
狭間:…………
雨澤:んだよ
狭間:な、なんでもない! ……あっ、カーネーションって、オレンジもあるんだね!?
雨澤:やめとけ、恋人じゃねえんだから
狭間:ええと……そ、そっか。うん、じゃあ、ピンクにするよ
雨澤:ちゃんと見て、好きなの選べ。顔、全然違えから
狭間:……ありがとう。……お店、よく手伝うの?
雨澤:ああ? んなわけねえだろ、今日はたまたまだ
狭間:いや……なんとなく、そんな気がしただけなんだけど。その、花が好きなのかなって
雨澤:馬鹿言え。俺みてえなナリの野郎が、花が好き? ……冗談にしても笑えねえよ
狭間:ご、ごめん、…………決めた。これ、ください。えっと……はい、丁度【お金を渡す】
雨澤:……リボン、そのままでいいのか
狭間:え? あっ、うん!
雨澤:…………ほらよ
狭間:……あり、がとう
雨澤:用は済んだろ、とっとと帰れ。……本降りになってきやがった。雷鳴りだしても知らねえぞ
狭間:……うん。ありがとう、本当に
雨澤:んだよ。傘でも忘れたのか?
狭間:雨澤くん、
雨澤:雨澤。君付けやめろっつっただろ。……仕方ねえな、待ってろ、客がおいてったビニール傘でも、
狭間:あ、雨澤っ!
雨澤:ああ?
狭間:ありがとう!【深く頭を下げる】
雨澤:…………何の真似だ。頭、上げろ
狭間:本当に、ありがとう。何度も、助けてくれて
雨澤:……うるせえな、済んだことだろ
狭間:とても、済ませられないよ! だって、君がいなかったら……僕は、死んでた
雨澤:…………
狭間:雨澤は、借りを返したいって言ってくれた。だから、僕も……雨澤に、何か返せないかなと、思ったんだ。
力になれないかなと、思って、
雨澤:要らねえよ。てめえすら満足に守れねえ野郎に、何かができるとも思わねえしな
狭間:そうかも知れないけど、その……でも僕は、君の能力のこと、知ってるから、
雨澤:知らねえだろ。何も、何一つ、知らねえだろうが。会って数日のてめえに、俺の何がわかるってんだ?
狭間:わ、わからないかも知れないけど……でもさ!
雨澤:もういい。いいから、見苦しい真似してねえでさっさと、
狭間:君は!
雨澤:…………
狭間:能力の制御が、その……上手く、できないんじゃ、ないの?
雨澤:…………
狭間:初めて、ちゃんと話したとき……君は、確かに「制御」って言葉を口にした。
それに……シャープペンシルを、折るって聞いたんだ。イラついたら、片手で折るんだって。それって
もしかして、本当はイラついてるんじゃなくて、
雨澤:だとしたら、危ねえよな
狭間:……え?
雨澤:もし、んな化け物じみた力を、制御できねえんだとしたら……近寄らねえ方が、いいと思わねえか
狭間:……え……
雨澤:話は終わりだ。……借りは返した。友達面(ヅラ)なんて間違ってもすんな、不快なだけだ
狭間:……雨澤、ごめん
雨澤:ッ、いい加減にしろ! 摘(つま)み出されてえのか!
狭間:……っ、……ごめん……僕、っ、少し、想像すれば……わかるはず、だったのに……
雨澤:なっ、……んだよ。泣いてんじゃ、ねえよ。軽く怒鳴った、だけだろうが!
狭間:……僕は、馬鹿だ……ごめん……本当に、ごめんね……
雨澤:……謝んな
狭間:ごめん、ね……雨澤、くん……
雨澤:…………泣くなよ。頼むから。
……イラつくな。どうしたら、いいってんだよ
狭間M:強(したた)かに屋根を打つ雨音が、花の香る店内まで、染み入っていた。
空と一緒に泣きながら、僕は、思い出していたんだ。
「もとの世界に帰したら危ないんじゃないか」という、八雲の言葉。
「不器用なだけ」という、雪代の言葉。
僕にとって、ひととは違う能力は、誰かを守るための武器だった。
大したことない、こんな僕が、誰かの力になるための武器。
だけど、雨澤にとっては……そんな、都合の良いものじゃなかった。
彼の能力は、獣だった。強力で、狂暴で、飼い主にまで牙を向く獣だった。
……そして、6月。
僕は、「彼等」の苦悩を、深く知ることになる
‐5月 空夜に硝子細工を浮かべる 後篇 end.‐